江戸時代イッキ飲みから見た、中国文化
立川談志が亡くなってしまった。その影響で、落語の「鉄拐」を聞いた。
オチは酔っぱらいが腹の中で暴れて、吐き出すと李白と陶淵明だったというオチ。
落語の本編にはあまり関係が無いので書いたが、そのオチを聞いて
江戸時代の酒豪はどれくらい飲めたのかが気になり、調べてみた。
江戸時代の飲酒文化を調べていくうちに、イッキ飲み(短時間で大量に飲む)が
江戸時代でも行われていたことを知ったので、まとめてみる。
現代のイッキ飲み
4月になると、毎年のように大学新入生が急性アルコール中毒になる
ニュースが報道される。原因はイッキ飲みなどで、現在は居酒屋でもイッキ飲み防止の為、
ポスターを貼るなどの対策をしている。
社会現象化したのは、バブル期で1980年代半ばからと言われ
イッキ飲み文化は泉麻人氏の著書「泉麻人の大宴会」などに詳しく書かれている。
(この本はバブル期のディスコ文化、パーティ文化などが当事者インタビューという形で
描かれていて、当時を経験していない私はとても新鮮でおもしろかった。)
1985年に「イッキ!イッキ!」という流行語が生まれるなどイッキ飲みの問題が健在化し始め
1992年から イッキ飲み防止連絡協議会発足し対策を講じることとなった。
現在、東京消防庁、 イッキ飲み防止連絡協議会発足の発表によると被害者は年間1桁にとどまる。
このようなイッキ飲みは、いつ頃から生まれた物なのだろうか。
最近だと思っていたが、江戸時代には既に存在していたらしい。
頽廃思想のイッキ飲み[江戸時代]
江戸時代のイッキ飲みは現代のイッキ飲みとは役割が違う。
江戸時代のイッキ飲みは、酒比べや酒合戦と呼ばれ遊びとしての戦いの役割を持っていた。
この酒合戦の模様は「高陽闘飲図巻」と呼ばれる絵巻にまでなっている。
高陽とは何か。高陽とは、中国、河北省の高陽県のことであり、高陽の徒から由来すると推測できる。
高陽酒徒という4文字熟語にもなっており、これは酒飲みを表す。また、世に相容れない酒飲みを意味する。
中国の文人に憧れた当時の江戸人がこれをもじって、高陽とつけたのであろう。
では、中国の文人達にとって酒を飲むとはどのような意味合いを持つのだろう。
前出の李白の月下獨酌などを見てみると、現代によく見られるストレスなどからの解放としての飲酒ではなく
飲酒状態にあること自体を目的とした飲酒である。
いわば、当時の中国の文人達の酒飲みは頽廃と怠慢を目的とした。
当時、漢詩などを積極的に輸入していた江戸の人々にとって、おそらく、それは憧れであり
その境地に達する為のイッキ飲みであったのだろう。