会社員のための雑学ハック

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日本カレー伝「カエル、ビクトリア女王、仮名垣魯文」

カレーはうまい。

一日3食カレーでも、私は文句を言わない。幼い頃からずっとカレーを食べてきた。
武蔵小金井のプーさんのカレーが大好きだ。



 統計局の家計調査(2人以上の世帯)によれば2008年の全国平均カレールウ消費量は1,821グラムであり1人前が20gとすると、2人以上1世帯の1年で家庭料理として出されるカレーは約80杯分である。これは、レトルトカレーや外食でのカレーを抜いた物であるから、3人家族だとしておおよそ1人当たり30杯はカレーを食べていると推測できる。およそ、1月に3回は食べているといわれるカレーライス。

 これほど日本に浸透しているカレーライスであるが、その歴史を辿ると、大航海時代ヴィクトリア女王東インド会社、カエル、仮名垣魯文などさまざまな登場人物がドラマを築く、1つのストーリーが出来上がった。それぞれについて、出来るだけ簡潔にまとめてみる。


現代日本のカレーライス[大正〜現代:日本]
 現代のカレーライスは、カレー粉を筆頭に、ジャガイモ、肉、タマネギ、人参など家庭によって違いはあるものの、それほど違いはなく、現代日本の定番料理といって良いだろう。基本的には現代日本式のカレーライスは大正時代から徐々に普及したものであり、今日に至る。

 また、大正時代に普及した理由は、洋風文化の定着や関東大震災の影響などのはあるものの、軍隊向けの食事として重宝されたという説が有力である。(これは部活動の合宿などで頻繁に出されることと同意だろう)ちなみに、肉じゃがも日本海軍で作られたものが起源とされ、カレーと肉じゃがの材料の相違などから見ても面白い。

それでは、大正時代に普及し始めるまでのカレーはどのようにして、日本にたどり着いたのだろうか。


カレー粉を作った国、イギリス[18c:イギリス→日本]
 世界初のカレー粉は、英国イギリスでつくられた。これは、1772年にイギリスの初代インド総督ヘースティングズが持ち帰ったインドの「カリ」ビクトリア女王に献上し、ビクトリア女王がこれを気に入り、イギリスのC&Bがカレーパウダーとして商品化し販売する事となった。(ネスレのパンフレットより)

これによれば、もしかしたらビクトリア女王がこの「カリ」を気に入らなければ、C&Bがカレー粉を発売せず、現代日本のカレーライスは存在しなかったかもしれない。私にとってビクトリア女王の功績は非常に大きい。

ともあれ、イギリスで1772年にカレー粉は生まれた。これが日本に入ってきたのは、明治の鹿鳴館時代前後(1880年代周辺)の欧風化の影響であり、これによりカレー粉はめでたく日本に上陸する。また、日本に入ってきた最初の西洋香辛料がこの「C&Bカレー粉」であった。現在では、アジア料理として認識されているカレーだが、最初はイギリスから輸入した立派な西洋食品としてのカレー粉であった。


大航海時代東インド会社[15-18c:インド→イギリス]
 カレーは当然、インド料理である。イギリスから日本に渡ったカレー粉が現代のカレーへと繋がり、またカレーを生み出したインドとイギリスも当然つながる。大航海時代にイギリス人を含む西洋人はカレーに出会うこととなる。インド本家のカレー(インド料理)はスパイスを主な材料とした料理である。西洋人はそのスパイスを生肉の腐敗防止などの理由から欲し、またインドとヨーロッパの間のアラブ諸国の商人達に流通を握られていたことから効率の税金を徴収される為、スパイスの値段が高騰した結果、海から直接貿易を狙う冒険者たちによって大航海時代が始まり、インドでのカレーの発見につながるのである。

余談だが、このアラブの商人達はスパイスの高額の税金を得た為に、富を貯蓄できアラビアンナイトに繋がり、アラジンが出来る。スパイスがアラジンを生み出したのだとしたら、ディズニーはスパイスから出来てると言えないだろうか。もはやディズニーは一種のカレーだ。

大航海時代を経て、西洋の国々がインドと交易を持ち始めると、1600年にイギリス、1602年にオランダ、1604年にフランスと東インド会社が設立される。そして徐々にこれら商社が国の統治者になってくると、17世紀後半にオランダが衰退し、イギリスとフランスが戦争を始める(カーナティック戦争)。この勝者がイギリスであり、インドがイギリスの植民地となるのである。

インドを植民地にしたイギリスは1773年、英領インドの初代総督にヘースティングズを据えるのである。これで、カリをビクトリア女王に渡す所までがつながった。


そして日本へ[明治時代〜:日本]
 インドでカレーの元となるインド料理が生まれ、それがイギリスの植民地になった事でイギリスへ運ばれた。その後、ビクトリア女王の口に合い、カレー粉が誕生し、欧風文化を取り入れる時代となった日本に伝わってきた。日本に伝わってきたもののレシピをみてみよう。

日本の記録に残る最古のカレーのレシピ(西洋料理指南:昭和5年)はカエルの肉を使ったもので葱、ショウガ、ニンニク、魚介、カレー粉等を用いたものである。また、同じ年、仮名垣魯文の文献、西洋料理通では、肉(牛や鳥)、葱、リンゴ、カレー粉等をもちいたものであり、現在のカレーの素材とはほとんど異なる。ちなみにカエルの肉はイギリスでもインドでもカレーと一緒になることは無く、起源は謎である。伝来したカレーのレシピでは、当時の日本にその材料は無く、日本風に改良した結果、上のようなレシピになったとされる。

大正時代には、徐々に材料が揃った事や、日本人向けに改良されたことから現在のようなレシピになる。当初、鹿鳴館時代で西洋料理として食されていた日本のカレーであるが、軍隊で提供され、また学校給食での普及から家庭料理として徐々にその印象を庶民の一般食へと変化させていく。その結果、現在のカレー文化につながったといっていいだろう。


まとめ
 インド料理がもとになったカレーであるが、大航海時代を経て東インド会社を設立したイギリスがインドを植民地化し、ビクトリア女王へ献上したカレー(カリ)が好評だったことから、カレー粉の発売へとつながる。一方、日本では文明開化が進み西洋文化の輸入が流行となっていた明治時代に、西洋香辛料としてカレー粉が伝わり、大正時代になると一般食として日本に普及。現在のカレーへとつながったのであった。


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