「美魔女は痛いのか?」いや、彼女らは俺たちの方を向いていない
美魔女が苦手だった
怖い。
ギラギラした感じが怖い。
大衆居酒屋でぐっと近づいて来て、飲んでいるハイボールで乾杯を迫るような、生命感溢れるその感じが怖い。
といっても、私は男だが実際に美魔女にせめられたこともないし、これからも無いだろう。(そもそも女性にせまられたことがないので)
ある本を読んで、美魔女への抵抗感が薄まった、いや応援というか声援を送りたくなった話を書きたい。
なぜスポーツ選手は「自分に勝ちたい」というのだろう
美魔女の話の続きである。少し話題を変える。
スポーツ選手のよくあるインタビューで、
「本当の敵は自分です」
というものがある。
長年、ずっと違和感を感じていた。
本当に敵は自分なのか?大会であれば、他の選手のスコアによっての成績であるだろうから、本当の敵は文字通り「敵」ではないか?
ビジネスに置き換えるとNO1の売り上げを上げるためには、もちろん社内の人材や製品のレベルアップは欠かせないが、それだけでなく市場を理解し他社製品・サービスの研究とそれらとの差別化等が必要ではないかと思うのだ。
もちろん陸上等の個人競技でライバルの影響を受けにくいものであれば、別かも知れないが1対1や、多数対多数の競技だと相手の研究と対策が重要な気がしていた。
なぜ自分自身に目を向けるのだろうと思っていたが、最近その理由に気づいた。
同僚で、ずっと「自分の仕事の成果が出ないのは上司のせいである」といっている同僚がいる。「やる気になれば(あるいは環境が良くなれば)(あるいは給与が良くなれば)(あるいは残業代が出れば)確実に成果が出せる」といっている。
スポーツ選手と小者の同僚を例に出すのは申し訳無いが、この両者の共通点は「自分のポテンシャルを信じている」という点にあると思う。
スポーツ選手は、自身のポテンシャルについて前向きに考えているからこそ、本当の敵は自分との発言をし、小者は自分のポテンシャルが高いにも関わらず周りの環境が悪いと糾弾する。
自分自身を両者とも信じているのだ。
美魔女がなぜ痛いと思っていたのか
彼女らを敬遠していた。
イタイなと少し感じていた。
ぐっとくる感じで怖かったのだ。
だけど、美魔女は僕たちの方を向いていなかったのかも知れない
ジェーン・スー氏の「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題 」を読んだ。
Session-22にゲストで出ていたのを聞いて、ジェーン・スー氏を知り、彼女の著書を即注文し、この本を読んだ。この本は完全に当たりだったのだが、その中で美魔女についての記述がこのようにあった。
女性の老けについて、ケアの複雑性から女性の外見を庭と例えた上で、
40代以降の老けについて
(略)こうなると、異性の目はどうでもよくなってきます。男ウケする庭よりも、自分の心が安定する庭にしたい。その結果が、あの美魔女のおどろおどろしい庭ではないでしょうか。異性の目だけを正確に意識していたら、ああはならない。あれは己との、そして同世代女との戦いなのでしょう。 (略)
そうか。
美魔女に感じていた違和感は自分に向いているはずなのに、何かずれている、若作りしすぎて食べようと思わないよ。素材で勝負すべきでは?ということだった。
この若作りは自分を含めた男性という対象へ向けたものだと思っていたのだ。
とんだ思い上がりだった。
恥ずかしい。
一般的に美魔女と言われる方々はもちろん綺麗なのだが、トレンドにのっていない場合も多い。そのずれがより違和感を感じて、女性の圧迫感を感じることがあった。
しかし、大半が男性に向けておらず、自分への挑戦または自分がかつてそうだったような若さを全面に押し出した結果だとしたら、男性である僕たちが批判するのはとんだ思い上がりではないかと気がついた。
年々、老いというものがどうしても外見に出てくる人間の抵抗・自分のポテンシャルの証明が美魔女へと変身させているのかも知れない。
誰も、スポーツ選手の練習着や練習での動きを批判しない。
上の様な意味で、自分のポテンシャルを信じて、各人が思う女性性という競技を行っているとするならば観客がそれを批判するのは間違いでは無かろうか。
私は美魔女=アスリート説を提唱したい。
フレーフレー美魔女!!