細田守の闇ってなんだ?「バケモノの子」を観た感想とレビュー・考察をまとめる。
細田守監督「バケモノの子」を観た。その感想
批評家じゃないから、細かな指摘や設定の不備、ストーリーの甘さ等を指摘するつもりは毛頭ない。文筆家でもないから、感想を素晴らしい表現で記載も出来ない。批判も絶賛もしない。感想としては
面白かった!泣いた!熱い!
以上である。
プロフェッショナルの細田守の回とライムスター宇田丸のウィークエンド・シャッフル内の映画批評を聴き、鑑賞に向かった。面白かったのでパンフレットを買ったのだが、「闇」がこの作品の一つのテーマになっている。そこで、細田守の闇について考察してみたい。私はアニメ作品、細田守氏に詳しくないため、間違った記載もあるかも知れない。もし気づいた点がありましたら、コメントいただければ嬉しいです。
またネタバレはしないように書いているので、鑑賞前の方でも読めるものにしているつもりである。
プロフェッショナルで放送された細田守の「絶望」と「希望」
2015年8月3日にプロフェッショナル仕事の流儀にて、細田守の300日に渡る密着取材の模様が放送された。スタジオジブリの元、ハウルの動く城を原作にしたアニメーション映画の監督に32歳で超大作の抜擢、しかし途中降板を余儀なくされたという過去が本人の口から語られ、アニメーション映画監督としてのキャリアから作品にかける想いが放送された。
『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』『時をかける少女』『サマーウォーズ』『おおかみこどもの雨と雪』など大ヒット作を手がけた細田守の姿が放送され、あまりに面白かったため、バケモノの子を見に行った。正解だった。
- 人生は幸せなものかも知れないというのを大声で言っているようなもの
- 映画はくすぶっている人の為のものである
- 映画を作るとか観ることは世界に希望をもってますよって事を表明するような行為である、そうで無いにも関わらず
これらの言葉すごいな。
スタジオジブリとの関係
ファンの方なら当たり前の事なのかも知れないが、スタジオジブリ、宮崎駿との関係性を初めて知った。Podcastの「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」内で2015年4月12日に配信された「日本のアニメ・映画の未来について」と題されたスタジオジブリの鈴木敏夫とバケモノの子を手がけた川村元気との対談でもこの話は出ていなかったと思う。
「絶対作れると思っていた」作品を降板
ジブリから舞い込んだ長編映画の監督をプロデューサー(これ誰だ?)から「細田君 これもう無理だね」と言われ、ハウルの動く城の監督を降板することになった細田守は監督として「もう信用されるのは無理だな 俺は」と思ったと語っている。
これ、ものすごい絶望だろう。失意の途中降板をした細田は、元の会社で企画を出すもすべて通らないという不遇の時期を過ごす。
自身の後悔を反映した作品が「バケモノの子」である
時をかける少女で、再度日の目をみた監督は、自信の経験を元にそれからの作品を作るようになった。親戚との不仲や結婚して沢山の親戚が出来た経験から「サマーウォーズ」、亡くなった母への想いから「おおかみこどもの雨と雪」の製作を行ったと放送・パンフレット内では語られていた。
自分の悩みや後悔などの経験を理想の形にして、作品として送り出すという手法でこれらの映画は作られたという。それは、今回の「バケモノの子」でも同様である。
このバケモノの子は自身の父親との不仲を題材に、理想の父親像・親子の絆を反映して映画を作っているという。希薄だった自分の父との関係、その後悔を埋めるためにバケモノの子は作られたのだと言われている。
理想の父親像として「熊徹」があり、本当は結びたかった理想の親子の形が九太と熊徹に反映し、バケモノの子は製作された。
つまり、絶望や後悔などを元に、この希望に溢れる映画が作られたのだろう。だからこそ、映画にも闇が表出しているのかも知れない。
ライムスター宇田丸が指摘する細田作品の怖さ
2015年8月1日に放送されたTBSラジオ「ウィークエンド・シャッフル」の週刊映画批評ムービーウォッチメンでバケモノの子が取り上げられた。いつもながら面白かった。今ならポッドキャストで聴けます。
細田守監督作品は、総じてファンタジー空間とリアルな現実を事故的に行き来することになった主人公が、どちらの世界にも理解されない、孤独感を抱きつつも、そこに自身の生きていく理由、アイデンテティを探って行く物語である。
今回のバケモノの子でも同様に鏡像関係にあるリアルな渋谷と渋天街の世界を行き来しつつ、アイデンティティを確立していく話になっていると指摘している。
純粋な悪意である細田作品の「闇」
また、細田が描く闇は非常に怖いものである、それは純粋な悪意を描いているからであると述べている。
バケモノの子では、この「闇」は仮面優等生の闇や差別的な行動をとられた側の気持ちとしても、復讐心を表したものでもあり、確かに複雑化した「悪意」として、この作品の中で闇が描かれている。
またリアルな現実社会での孤独感というのは今でもあるものであり、普遍的な読み込みが出来る物語であるとしている。
(言及されていたホームレスの空間で生きていた歌舞伎町のこころちゃんの写真集)
この作品は社会のスキマで育った子供が果たして社会的に生きていけるのか、その社会になっているかというメッセージを込めた作品であったと批評している。
なぜこの作品は生まれたのか、細田守の闇とはなんだ?
パンフレットにて、細田監督のインタビューが記載されている。
子供が生まれたことをきっかけに現代において子供は誰が育てていくのか、どうやって大きくなっていくのだろうと考え、まわりの人々が子供を育てるのだろうとこの作品を作ったと言及されている。
つまり、子供と他者との関わりの中での子供の成長が題材になっている。
また、プロデューサーである齊藤優一郎氏は同パンフレットにて成長のプロセスとしての「自己のアイデンティティの形成時に抱える悩み」「自分は何者なのか」との不安と葛藤を今作では闇として描いているのではないかと述べている。
自分は何者なのか、との悩みは誰にでもあるかも知れない。
しかし、細田守監督にとってキャリアへの絶望感を感じたスタジオジブリの長編映画の途中降板、父との希薄な関係性などによって、アイデンティティの問題はより深い悩みとして自分の中に存在していたのではないだろうか。
細田監督自身の経験を映画として昇華している作品作りだからこそ、今回の作品では実質的に苦悩や後悔が「闇」として描かれ、他の作品でも描かれてはいないものの不穏な空気が細田作品には常に流れているのではないかと考察した。
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