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会社員のための雑学ハック

Web・末端会社員としての働き方・経済・文化等、「半径3m以内の事」を考えるブログです。ー雑学:多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また、学問とは関係のない雑多な知識。

村上春樹をどう評価するかで、その人がバカか分かるのでは

村上春樹の批評を見る時に感じていることをまとめる

 書きたいのは大きく分けて3つ。

「村上春樹論は危険じゃないか?」

「ファンをひとくくりにできるのか?」

「こんな人はバカに見えるよ」

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この記事の要約「小説家・村上春樹論」について感じていること

  • 「好き」でも「嫌い」でもどちらでも良い
  • 問題は「どの部分を見て」そのように言っているかである
  • ここで「バカ」とは、「分かろうとしないのに一括りにすること」を言う
  • ファン(ハルキスト)をカテゴライズするのは、ここまで読者層の多い村上春樹で出来るのか?
  • カテゴライズする人に対しては、周りの環境に小説を読む人が居なかったんだろうなと感じる
  • また、そのような人々を排除した生活をしていると言っているようなものではないか
  • あまりにメジャーだから、村上春樹を批判して自分を持ち上げたい気持ちも分かる
  • ただ、小説家、特に村上春樹に関しての批判は注意が必要ではないか

 

 

文学「村上春樹」を語るのではなく、「村上春樹批評」について語りたい。

 ここでは、村上作品の文学的な批評は行わない。エディプス・コンプレックスがとか、タマゴと壁がとか、父の不在がとかは語らない。というか、語れない。

 

 村上春樹は日本発の世界的な作家である。その村上春樹について、日本人である私たちが語ることは往々にしてある。その批評の仕方について、前々から思っていることを書いてみる。

 

 

危険な村上春樹論

村上春樹は世界的な作家である。

 有名だ。だから良いという訳ではない。しかし、村上春樹を語る際には、なぜ人気が出ているのかを考える必要があるだろう。

 世界的に人気があることは、言うまでもない。(参考:村上春樹は現代のビートルズ!?海外での評価がスゴい - NAVER まとめ

 

なぜ世界的に村上春樹は人気があるのだろうか

 SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI PODCAST 「vol.190」で東浩紀が「村上春樹がなぜ世界的に人気があるのか」を話していた。9分くらいなので、興味のある方は東か・・・と言う前に聞いてみていただきたい。数年前だが、その本質はほとんど変わっていないだろう。

SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI

SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI

  • TOKYO FM
  • 個人ジャーナル
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  • 交換可能性・匿名性が世界的に受ける要因になっているのではないか
  • 村上春樹作品は非常に漫画的である(世界の終わり〜はセカイ系の起源である)
  • 消費社会が一定の成長を遂げた国では村上春樹が流行るという現象が起こっている
  • 世界中で同じように読まれている
  • 日本が生み出した初めての世界文学である

 点を指摘している。取り出しただけであるので、詳細は音源を聞いていただきたい。

 

 この是非は置いておいて、この点は村上春樹を語る上で非常に重要であるのではないかと考えている。この考え方に立つならば、なぜ世界、日本でも多くのファンがいてどのように読まれているかを理解しやすいだろう。

 なぜ彼の小説を好きかについては、人によって異なるため、一概には言うことはもちろん出来ないのだが、この点は重要な観点だ。

 

 

だれでも好きだろう。村上春樹は

 村上春樹を語る時には注意が必要である作家であろう。まず、読者が世界的に非常に多い。日本でも、1Q84の売り上げはものすごかった。

(参考:村上春樹『1Q84』がシリーズ総売上300万部突破 | ORICON STYLE

 今は文庫も出ているのでシリーズとしては、上乗せが大きくされているだろう。

 ここからは福田和也「悪の読書術」の影響を受けている意見であるが、村上春樹は普段から本を読む人ならばおよそ読んだことのある作家であろうし、売り上げを見ても途中でやめる人よりも「広く受けている」といえるだろう。作品もポップというか、読みやすい。つまり、他の作家に比べてだれでも好きじゃないかと思う。

 

 もちろん村上春樹が嫌いだという人も多くいるし、全く否定をしようとは思っていない。ただ、その語り方が非常に気になる。

  知性が低く見えてしまう批評の仕方が、ここまでメジャーな作家であればしょうがないのかもしれないが、多く見える。

 ただ一方で、両手放しに「一番好きな作家は村上春樹」というのも、その文脈によってはモヤモヤする。1個人の意見として、「村上春樹を語る」時に感じる違和感を書いてみたい。

 

 

そもそも「ハルキニストはこんな人」とは定義できない

 村上春樹ファンを一括りにしている人は多い。

 

 この話を聞くたびに、マジか!?と思ってしまう。こんなに読まれているのに、一括りに出来るのか?だいたいタモリを好きな人くらいは村上春樹の新刊を読む人がいるのに...

 

 一度、1Q84が出たときにどのような人が読んでいるのだろうと気になって、書店にいたことがある。緑さんのような人かなと思ったが、年代も性別もバラバラだった。当たり前だが、ショックだった。

 

これだけ部数を伸ばしている村上作品だから、やっぱり村上春樹ファンってくくれないんじゃないか?

 

 

村上春樹の間合いに不用意に入ると怪我をする

 世界的に人気のある村上作品だが、そのファンは各国様々であろう。

 

 ここで、注意したいのが「村上ファン」とくくることだ。明言していないだけで、村上ファンは非常に多いのではないか。潜在的村上ファンも含めると「村上ファン」のイメージ像は出来上がるようで、作るのは難しい。

 

村上春樹男子とか、ハルキニストとか、マジで言ってるの?

 ニッチな趣味であれば、カテゴライズすることは可能であろう。ただ、交換可能性や匿名性を特徴とする村上作品では、カテゴライズはより一層難しい。しいて言うなら都市に多いくらいじゃないか?

 

 例えば、周りの友人1名が鉄道が好きだからって、鉄道オタクとはこんな人!とするのは、例えを広げすぎだろう。もっとN数を増やす必要がある。

 小説の場合は、人が何を読んでいるかが分かりにくい。本棚にあるからって村上ファンではないだろうし、図書館で毎回借りるファンも多いだろう。

 ある友人が村上春樹を好きだからといって、ハルキニストはこんな人ということはできないのではないかと思う。または、自分の周りで村上春樹が好きな人はこのような人しかいません(幅広い人間関係を構築してません)。と言っているのと同じことではないか。

 

 毎回、ハルキニストとか、春樹男子とか、くくるのを見ると、赤いポルシェに乗っている人は必ず一人旅と言っているくらいのバカバカしさ、横暴さを感じるのである。