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会社員のための雑学ハック

Web・末端会社員としての働き方・経済・文化等、「半径3m以内の事」を考えるブログです。ー雑学:多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また、学問とは関係のない雑多な知識。

千眼美子と沈黙とAと「宗教」と「転び」ー末端会社員が考える宗教感ー

宗教関連の話題が自分の中で熱い

清水富美加と沈黙とA

 学術的な日本人の宗教観とか、カルト集団の危険性だとか、芸能界の裏側とか、そういったものの知識は持ち合わせていない。一末端会社員として、宗教について考えたことを書いてみようと思う。

 私自身、宗教についてしっかりと考えたことはほとんどなくて、無宗教を自覚していた。親族の葬式の時に、ああ、うちは浄土真宗だったなー、母親の方は臨済宗だっけか、と思うくらいで普段の生活において宗教的な教示をもとに行動していないと思っている(無意識で、とか刷り込みで、とかバチが当たるからという考えはあるとして)

 

 最近、清水富美加関連のニュースや、遠藤周作原作の映画「沈黙」を観たり、森達也の作品にはまっていたりと「宗教との関わり」について考えていたので、思いつくままに書いてみようと思う。ちなみに、これから先の文章には、誰かをどちらかの方向に導いたりとか、予言とか、そういったものは書かれていない。最後まで読まないと、バチが当たるくらいなので、ここまで読んでいただけただけでもありがたい。

 

 なお、ここから先は映画「沈黙」、森達也監督のドキュメンタリー映画「A」のネタバレを若干含む。

 

江戸時代のキリシタンはなぜ踏み絵を踏まなかったのか?

 中学生のころ、自分が江戸時代に生きていたとして、キリスト教を信仰していて、踏み絵を迫られ、踏まなければ家族や自分が殺される状況にあったときには、信仰を裏切りすぐに踏むに決まっていると考えていた。沈黙のキチジローに近いと思っていた。

 

 遠藤秀作原作で、マーティン・スコセッシが監督した映画「沈黙ーサイレントー」では、江戸時代に生きた宣教師とキリシタンとの関係、宣教師ロドリゴ、フェレイラの人生が中心に描かれた2017年に日本で公開された作品だ。162分と長い作品だが、役者の演技を見ているだけでも全く飽きることのない作品だった。エイプリルフールズの半分くらいの時間に感じられるほど、のめりこんでみてしまった。あと、片桐はいりがふざけすぎていて面白い。

 

内容もだが、解説がオススメ

 映画「沈黙」については、町山智浩の解説が本当に素晴らしかったので、リンクを貼っておく。映画→町山解説→映画の順番で観たのだが、これは是非オススメしたい。アフェリエイトではないので、沈黙に興味ない人、沈黙をすでに一回観た人で解説を聞いてない人は買う価値が多分にある解説だ。

 

(サンプルがYouTubeで聞けます)

町山智浩の映画ムダ話 M・スコセッシ『沈黙サイレンス』解説サンプル - YouTube

 

 この解説は映画の本題そのものにも言及しているが、それよりも「なぜこの映画ができたのか」という点において、非常に勉強になった。キリスト教の宗教観と映画界の事情をアメリカ在住の映画評論家のおかげで知ることができ、2重に楽しむことができた。映画だけ観ても、すごく面白いけど。

 

 宗教観について、2017年1月までは、自分は命をかけて、信仰を守ることよりも、生きて幸せを目指して生活する方に行くだろうと思っていたのだ。だから映画を見ていた時も早く踏んでしまえ!と半ばイライラしながら見ていた面があった。

 「命<信仰」という考え方が理解できなかった。

 

転ばないことの潔さ、転ぶことの浅ましさ

 「転ぶ」という言葉が映画に出てくる。信仰を捨て、社会に迎合するといったような意味だ。転ばずに(信仰心を捨てずに)死んだ人物は潔く見え、転んだ人間は浅ましいように途中までは見えた。

 

「A」 信仰の求心力について

 あまりに有名なドキュメンタリーである、森達也監督の「A」。佐村河内氏を撮った「FAKE」があまりに面白かったため、「A」を観た。ずっと各地のレンタルDVDショップを巡って探していたのだが、ついに見つけられなかったため、無い袖を振ってAmazonで買った。

 

<前作の「FAKE」についてのエントリー>

zatsuhack.hateblo.jp

 

 

 1998年に制作されたオウム真理教を追ったDVD。当時はほとんど何も考えずに、怖いとか、頭おかしいとか思っていた記憶があるが、それももうほとんど忘れてしまっていた。まだ、私にはゲームとサッカーの時代だった。

 オウム真理教の広報副部長であった荒木浩を追ったドキュメンタリー。当時、彼がテレビの中で教団について話していた姿を記憶していた。今、見てみると、彼の年齢よりも上になった自分には、なんとも儚いというか、切ない彼の姿が印象に残った。

 

 

 スーツ姿になった彼は、革靴を忘れてしまう。それも1度ではない。全編を通じて彼は、とてもチャーミングなのだ。だからといって、事件に関係した教団であり、反社会行為をしていた教団の人間の彼を全く擁護する気にもならないが、この作品からはそのような教団に属しているのは、紛れもない「人間」であることを気づかせてくれる。本当にあたりまえのことだ。ただ、なぜだかそれを感じられていなかった。

 

 また、映画「A」の中で、正しい、当たり前と思っていた社会(法治国家である日本)への印象が大きく覆るシーンも「転び」に関係していた。もしかしたら、こっちの人の方が「人間」ではないのでは無いかと思ったほどだった。

 

<中古品が出回らないので、安くならない「A」>

A [DVD]

A [DVD]

 

 

なぜ宗教に入るのか?

  スカパーで放送された「BAZOOKA」という番組に出ていた元オウム真理教の上祐史浩と森達也をゲストに迎えた『「脱」洗脳ナイト』の回の動画を見た。(グレーゾーンなのでリンクは貼らないが、今もまだ見られる)ここで話されていたのは、多岐に渡るが「なぜ入団したのか」という点が印象に残った。

 

 自分の推測も含まれているが、社会と縁を切った修行者が、社会的・肉体的・精神的に追い込まれた状況で、ヨガの強度の高い修行を行うことによって瞑想状態になり、これまでの人生では考えられない体験をすること。また、それらの修行には薬物も使われることもあったとされ、これまでの常識や概念が覆される強烈な体験があり、それがあったことによって、教祖である彼への依存度は高まり、また周りの修行者から認められることで、「所属感」といったものが芽生えたのではないかと思う。

 上に書いた手法はかなり単純化しており、様々なマインドコントロールや洗脳術は使われていたことと想像できるが、もし仮に実際に自分が体験してしまったときのことを考えると、もはや宗教を「信じない」と私は言えない。

 

清水富美加を否定するのでは何も考えられないのでは

 芸能界のしがらみとか、誰に迷惑かけたとか、どうでもいい。会社辞めるときとどう違うんだろう。マネジメント会社が中に入っている点は違うだろうけど、一方的に仕事を取ってこられていたんだとすれば(真相はわからないが)、権利として辞める権利は認めるのが当たり前じゃないだろうか。

 

 変な宗教とか、カルト宗教とか、関係者以外からは、いろいろなことがいわれている。正直、清水富美加が入っていた宗教に対する印象は、良い印象も、かといって悪い印象も別にない。危害を加えられてないし、入る気もないから。

 だからといって、自称無宗教者たちが、その宗教はおかしいとか、入団するのはどうかとか言ったりするのは、考えが浅いんじゃないかと思うのだ。

 

 私自身は顔も良く無いし、スタイルも悪いし、愛嬌も無いし、男だし、グラビアアイドルはできないが、現在、衣食住(金)や所属の安心感、社会貢献感を与えられている勤め先の会社から、強制的にやりたく無い水着の仕事を会社の倫理で押し付けられたとしたら、やるだろう。そしてそれらが何度も繰り返された場合、どこかに助けを求める可能性は大いにある。その先が宗教である可能性も否定しないことが一番重要なのではないかと思う。

 

転ぶことへの理解が必要だ

 命<信仰であるとは、私自身は思っていない。しかし、一度「転んだ」時に、自分がこの考え方を持ち続けられるかわからない。重要なのは絶対に転ばないと思うことではなく、転んだ人への理解をする姿勢であると、一連の作品、ニュースを見て考えた。今まで無宗教と自覚していた私が、他の宗教に転ぶことも可能性としてはある。そう考えることが、方向を間違わないためにも重要だ。柔軟性の無いものは折れやすい。折れたら、一直線にそちらに向かうこともあるだろう。

 これまで宗教なんて入らない、関係無いと考えていた自分を深く恥じ、その償い・考えた道筋を記録するため、このエントリーを書いた。