「9円以下はいらない」私の考える半能動的な税金徴収システム
おつりで9円以下、いらない
コンビニで、9円以下の小銭渡さなくていいよ。
コンビニや飲食店で消費税が上がった影響か、1円玉と5円玉が溜まるようになった気がする。電子マネーをあまり使わない私は常々思っているのだが、1円玉と5円玉がいらなすぎる。
余った1円と5円は会計に使うのだが、レジが高度化されたためか、私の老化かはわからないが、レジの人を待たせることになって、結果ぴったりの小銭が無かったりすると気まずくなる。小銭入れを買うのも無くしそうだし、手間がかかるしでめんどくさい。
私の周りは私を含めて金持ちではないが、聞いてみたところ同じことを思っている人が意外といてびっくりした。
なぜ、コンビニの募金箱に入れる人が多いのか
大体、コンビニの募金箱に9円以下は入れてしまう。バイトの子がタイプだった場合は100%入れている。その時にどのような場所へ寄付されるかは見ていない。今週だけでも、数カ所に入れているが一切、どこへ募金されるかを見ていない。大体、盲導犬だろと思っている。
1円玉と5円玉が多い、募金箱
コンビニの募金箱には、札も入っている時もあるが、大体は1円玉か5円玉が多い。私のように財布へ入れるのがめんどくさい人も多いのだろうなと思っている。
コンビニの募金箱を見るたびに、財布がかさばることなどで小銭はいらないという人は潜在的に多いのではないかと思うのだ。
コンビニのタッチパネルを利用した税収システムはどうか?
この小銭めんどくさい人に向けての募金システムを整備してもらいたいというのが、今回の趣旨である。
小銭を貰うこと自体がめんどくさいのだ。貰って、募金箱に入れるも財布に入れるものが億劫だ。1日に数カ所で9円以下、1日30円だとしても1年で約1万円となる。1年でみると結構多いが、1日だとわりとどうにでもなる金額である。
募金先はどこでもいいが、日本に住んでいる私にとって一番利益のある募金先は日本である。地方自治体などでもいい。募金先はこだわらない。
コンビニレジのタッチパネルを利用して、募金させてくれないか?
コンビニのレジにタッチパネルが出来て久しい。おなじみになっている。
宣伝の映像等が流れていて、それも良いのだが、そのパネルの下にバーをつけて、バーコードをタッチしている時間に、募金先と募金金額を決め、おつりをその分差し引いて欲しい。
「9円以下」「99円以下」「999円以下」「それ以上」
のようなボタンをパネルの下に設置して、選択した募金額分をそもそもおつりとして貰わないシステムは受け入れられないだろうか。
コンビニのシステムを導入するコストはそのうち数%をシステム費として計上すれば補填できるだろう。
このような半能動的な税金徴収システムはどうだろうか?既存の税収を多くとるよりも、意外とシステムによっては寄付のような形で税収分のわずかでも補えるのではないかと思うのだ。
そもそも数円の損も嫌だという人はクレジットカードや電子マネーを使っているだろうから、現金での支払いのみのシステムで良いのではと考えた。
まとめ:小銭が不要な人への反能動的な寄付システム
- 現金払いの人の内、数%は小銭が不要な人がいるのでは?
- コンビニの寄付箱よりも簡単に寄付できるシステムは有益では
- 能動的でなく、「いらない」という際に寄付できるシステムが欲しい
- 寄付すれば褒めてくれるシステムも欲しい
人の心をエグってくる「伊集院光のてれび」が異様に面白い!
今期、一番楽しみにしている「伊集院光のてれび」
普段、バラエティとドキュメンタリーしかほとんど録画していない。好きなテレビ番組は数多くあるが、その中でも群を抜いて最近楽しみにしている番組が「伊集院光のてれび」である。バラエティーであるが、ドキュメンタリーのようでもある。
伊集院ファンであるが、伊集院光関連のテレビ番組はそれほど多くみていない。「表」伊集院と「裏」伊集院ならば断然、裏伊集院が好きであるため、ラジオは聞いているが出演しているテレビはあまりみていない。
表と裏の伊集院光
同一人物であるため、裏も表もないだろうが、メディア・コンテンツによって「見せ方」が異なる芸能人である伊集院光の「ウラ」が見えるのが、現在放送されている伊集院光のてれびである。
TBSラジオの深夜の馬鹿力でみせている「性格がゆがみすぎている」面を全面に押し出した番組作りをしているのが、この番組である。
この「伊集院光のてれび」の面白さについて、考えてみたい。
ただ、DVD待ちの人やまだ見ていない人もいるだろうと思い、ネタバレを避ける。この番組を初めて見るにあたっては、一ミリもネタバレをしてほしくないため、核心を突く内容やその展開については記載しない。とにかく、この番組のDVDであろうと、録画であろうと、初めて見る際には「展開に対するネタバレ」は全く無しで見てもらいたいというのが、現在熱狂しているファンとしての願いだ。
現在、放送中ではあるが最初の4回は完全に成功だった。
なぜ、こんなに面白いのか!?伊集院光のてれび
番組の紹介は、公式サイトではこのように書かれている
企画・構成・演出・主演・編集・ロケハン
伊集院光全権掌握番組が3年の充電期間を経て遂に始動!
伊集院考案の悪魔的企画が多くの無名若手芸人を限界まで追い込む。
番組では毎回、伊集院が練りに練った完全オリジナル企画を放送。
初回では出演者を全て女性にしたところ、想像を絶するハプニングが続出!
極限状態のなかで繰り広げられる女同士の心理戦。
疑心暗鬼に追いやられる新番組をどうぞお楽しみ!
(引用:伊集院光のてれび | 情報・ドキュメンタリー | BS12 トゥエルビ)
1:「性格の悪さ」がすばらしい!!
この番組、本当に、性格が悪い。
すべての権力を握っている伊集院光への殺意が抑えきれなくなうほど、性格が悪い(いい意味で)。出演者は気の毒すぎるのだが、俯瞰してみるとニヤニヤするというドッキリとドキュメンタリーの融合のような、出演者にのめり込むほど、心をえぐられ、かつ楽しめるようなしかけになっている。
最初の4回までは、レギュラーを決める内容。1~2回は女芸人編、3~4回は女性芸能人(カワイコちゃん編)である。それぞれが、レギュラーになるためにある勝負をすることとなる。
レギュラーを決めるのは、じゃんけん。
このじゃんけんには、ルールがある。時間と制約だ。勝てばレギュラーだが、全員が同じ手でもレギュラーになれる。
以上、内容紹介である。
2:伊集院光がとにかく「悪役」に徹することのメリット
本当に性格が悪い構成の番組だが、この横暴な掌握者がいることによってのメリットがある。それは、出演者への思い入れが非常に強くなることである。
女性芸人編では、あだちあさみ・桜花・アンゴラ村長(暇アフタヌーン)・ロリィタ族。・ゆみみ(マリア)・ 奈子(マジコーラル)・ 松丸ホルモン・小杉まりもらが出演
カワイコちゃん編では、田代さやか・くるみ(WenDee)・天童なこ・三田寺理紗・清原優希乃・浅田結梨・緑川静香・紺野ぶるまが出演し、レギュラーを争った。
間違いなく言えるのは、この番組に出たタレントへの好感度が下がるということは無い。私は奈子と三田寺里紗(前作からだが)が特に好きになったのだが、他のタレントも同様に、巨悪がいるからこそ出演者への思入れが強くなり、レギュラーを決めるという初回放送からほとんど知らない出演者陣にも関わらずファンになった状況でレギュラー放送を楽しむことができるという構成となっている。
そして、この非道な内容も心理戦だけでなく、「どう見られるか」といったことを意識せざるをえないテレビ番組であることから社会性や道徳といった観点からも興味深い作りとなっている。
3:伊集院光の「公平性への信頼感」
これはファンだからかも知れないが、この番組はヤラセではないだろうとの信頼が出来る。
シンプルなルールであり、事前に取り決めてあれば、面白いように展開させることは可能な作りとなっているが、「伊集院光」という存在は言ったことをやるという点においては、特に番組作りにおいては、ヤラセ(それが視聴者を楽しませる為のものであっても)はしない、ぶっつけ本番に近い作りにするだろうという信頼感が、この番組を見る上で、「安心して」楽しめる要素となっている。
出演者が追い込まれる際に逃げ道を用意されているとするならば、純粋に楽しむことは出来ないが、この番組ではほぼ100%ガチだろうと思える点も、演出・構成が見えるこの番組の特徴だ。
故に、全く面白くない回になる可能性もあるが、それはそれで良い。ただ、6回放送した、ここまでは非常に面白い。
4:出演者が魅力的で、バラバラである。そして、全員が追い込まれる
シンプルなルールの番組作りでは、出演者に面白さが委ねられていると感じる。
この番組も同様、4回までは出演者が全く面白くない、自身の見られ方のみにこだわった出演であれば、このエントリーも書いてないだろう。
しかし、これらに出演した女性芸能人達はみな魅力的だ。あるいは、魅力的に見える。なぜだろうと考えてみると、男性と女性の違いとも言えるだろうし、女性が追い込まれる姿に若干興奮を隠しきれないからとも言えるのかもしれないが(いい意味で)、単純に人選に成功しているのだと思う。
どのピニャータを庭に入れれば、どのような展開になるのかが分かっているかのような人選だ。伊集院光の見る目の勝利だろう。アンタッチャブルやバイきんぐなどは記憶に新しい。
まとめ:「伊集院光のてれび」はドキュメンタリーとして面白い
いつも見ている出演陣による安定感のあるバラエティではない。
ほとんど知らない人達によるバラエティーの形式をとった、ドキュメンタリーだと感じる。
バラエティにカテゴリーされなかったと言っていたが、ドッキリドキュメンタリーのような楽しみ方によって、出演者への思い入れを強く持たせ、かつ信頼感のある巨悪が前に出てくることによって、伊集院光への好感度は急下降しているが、出演者に対する応援・少しの感動と、全編を通してのニヤニヤ感が非常に素晴らしい番組である。この番組が放映中の期間は仕事で怒られても、通常時の4割程度しか落ち込まないでやっていける気がする。
ささやかな願い:前身の番組での企画を復活させてほしい。
私の願いは、今の出演者で泥酔ドミノをしてもらうことである。私には下心がある。今期の出演者でサービスショットを見たい。切望している。
泥酔ドミノは前身の「伊集院光のばらえてぃー」での企画だが、今番組も「伊集院光のばらえてぃー」の流れに沿った番組と言えるだろう、ただ今番組ではより「作り方」と「見せ方」が非常に素晴らしいと感じる。売れたバイきんぐと共に、だるまさんが動いたらみんなバラバラ2をこの番組でやってくれないかが私の願いだ。
伊集院光のばらえてぃー 酩酊ドミノ ハイパーの巻 [DVD]
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「学級通信のコツ」がブログの書き方に応用できすぎて面白い
教師が生徒・保護者向けに発信する「学級通信」
学級通信のテンプレートが面白い
学級通信という言葉に、なじみない方も多いかもしれない。学級新聞とも言われるらしい。私の学生時代も、クラスでの発行は無かった。学級通信というものがあるらしい、かつそれがモンスターペアレントなどの兼ね合いで面白い発展を遂げていると聞いて、学級通信について書かれている本を買って読んだ。
読み進めていくうちに、ものすごい既視感を覚えた。なんだこれは、と思ったがそれらの本の学級通信のコツはそのままブログの書き方に応用できるものであった。
ポイントをかいつまんで、考察したい。
今回、読んだ本は「学級通信を出しつづけるための10のコツと50のネタ」という本。引用部分はすべてその本の目次から。
これが、そのままブログを書き続けるための10のコツと50のネタとして再出版しても良いくらい似ていて面白かった。
コツ1:「読み手」を決めて書こう
コツ2:「題名」を吟味しよう
コツ5:「同僚」「保護者」と協力しよう
コツ8:「定期的に書くもの」を用意しよう
コツ9:「写真」「資料」をふんだんに使おう
コツ10:「書く時間」を決めよう
など、ブログでも応用できるコツが書かれており、この内容はブログにも十分に転用できるものである。
読み手を決めて書くことはブログを発信しようと思っている人であれば、思うことであり、題名や写真もSEOが〜みたいな話しでよく聞くことだ。
定点観測として、定期的に書くことを決める点はPVが〜とかでいいだろうし、朝の時間で書こう!や、寝る前に!みたいな話しはよく聞く。
同僚も拡大解釈して、はてな村と置き換えると昨今のはてな界隈での喧嘩などのブログの内容にもなるだろう。
ブログと学級通信の「ネタ」は同じじゃないか
またネタとしては、
ネタ11:「流行」を取り上げよう
ネタ20:「季節感」「年中行事」を大切にしよう
ネタ24:「新聞コラム・記事」「ネット情報」を紹介しよう
ネタ44:「定点観測」をしよう
などもブログに転用できるネタ選びのコツだ。
季節感とかは私自身考えたことがないが、今回は考えてみたい。また、上のネタを使って「炎上案件の考察」とか、「はてなブログ読者層」の変容とかを取り上げて、頭良さそうに見せるために新聞とか引用しておけばいいだろう。
ブログと学級新聞の親和性の高さ
読み手は限定されている学級通信だが、書く内容は「学校」に限局するのみで何を書いてもよいとされるものである。
ハプニングを発信してもいいし、教師・生徒の趣味を発信してもよい。その内容によって、保護者(読者)の共感を得ることなどを目的とする学級通信はある種のブログと非常に似た性質を持っているものだと感じた。
ただ、「〜の仕方」ってそのコミュニティの終末へ向かわせるものじゃないかと思う。
How to本と、読みたいブログの親和性の低さ
ブログの書きかた。とか、〜PVになったブログの作成法!とか、割とどうでもいい。その道を通らない方が面白いんじゃないかと思うのだ。
取り上げた本は教師にとってみれば、非常に素晴らしい本であるだろう。学級通信の目的は「面白い」ことを目的にするものでは無いだろう。ただ、それが「面白い」ことを目的にできるブログにおいても、よく見る「人気が出るブログの書き方」とかと似通っている点が非常に面白かった。
各人でブログに対して目指す所が違うというツッコミはわかるけど、「人気エントリー」システムをとっているはてなブログでは、そうじゃないのではということを下に書きたい。
学級新聞とブログの相違点:自由にできるメディアがブログでは?
学級通信は読者に重点的であり定期的に発刊されることに重きが置かれている。一方ブログはそのようにしなくても良いコンテンツであるだろう。検索エンジン・炎上しやすい・PVが上がりやすいという切り口から書いたブログでは、同じような内容になってしまって、そのコミュニティ自体が地盤沈下してしまう(魅力が無くなる)のではないかと思うのだ。
自己啓発本に書いてある内容がある意味、似通ってくるのと同じようなものじゃないかと思う。「読者」に重きを置いた場合、コンテンツの終着点が同じになってしまうだろう。ファンの意見を聞きすぎた漫画のように。
もちろん、全てのブログやページがそうであるわけでもなく、非常に示唆に富んでいたり、特徴のあるブログも多数ある。
ただ、一般的に「ブログの書き方」と置くのは「人気小説の書き方」といったものと同じで、それが氾濫すると面白くないものばかりになるのではないかと保護者である一読者は思う。学級通信をパロディにした、はてな界隈の学級通信は読んでみたいが。
肌寒くなってきましたが、お風邪などひかないようご自愛ください。
<今回、紹介した本>