企業は、なぜ「圧倒的成長」をPRするのか?
圧倒的成長という罠
なにが、人のモチベーションを上げるのか。を考え導かれた「罠」、それが圧倒的成長なのかも知れない。
<エサを待つ犬の画像>
新入社員には「成長をエサ」にしろ
友人から、面白い話を聞いた。企業向けのコンサルタントに勤めている友人は、事業だけでなく、人事部へのコンサルも行っているという。
その中で「優秀な」新入社員を集めるPR方法の手段を聞いた。各コンサル企業によって、推奨するイメージアップ戦略は異なるものの、彼の勤めているコンサルでは「圧倒的な成長」というのがキーワードになっているという。
「圧倒的な成長」これは新入社員だけでなく、若手社員研修や管理者研修における新人教育のコツでもあるようだ。
なにが若手のモチベーションを上げるのか?
仕事に対する報酬は人によって違うだろう。私は報酬と労働時間とストレスのバランス>得られるスキルだが、会社への要望は時代によってトレンドがあるという。
一昔前であれば、社会的地位や会社内の順位などを求めて労働を行うことがトレンドであったらしいが(彼はそのような指導はしたことが無いという)、現在は「安定」よりも「成長」がキーワードになっているという。
なぜ若者は「成長」を望むのだろう。オープンワールドRPG論
なぜ「成長」がキーワードになっているのか考えてみたが、時代的な背景もあり、現代の若手は先行きが見えないなか模索していて、安定した生活は望んでいるものの、リストラという言葉が一過性のものではなく身近にあるこの時代に、「どうしていいかわからないが社会的スキルを身につけたい」と思っているのかも知れないと感じた。というより、自分がそのように思っていた。
オープンワールドの出来の悪いRPGのようなものだなと思う。ボスはいるのか、いないのかすら分からず、いつ自分の村が襲撃されるかも不明な状況で、とりあえずレベルアップだけはしておかないと有事に対応できないから、修行に励もうと思っているようなものだと感じる。
そこに「絶対にレベルアップする修行場」があれば、とりあえずそこに通ってみるのは選択肢として間違っていないように感じるのだ。
ただ、その後の友人の話を聞いて、「圧倒的成長」を謳う企業の一部は気を付けた方がよいかも知れないと感じた。
優秀な人材=「低賃金でモチベーションが高く、長い労働時間でも耐える」人材か?
成長を目的として入社する新入社員は、非常に優秀であると回答されるケースが高いという。コンサル先へ、1~2年後にフィードバックを求めると成長を目的として入社し、「圧倒的成長」を普段から口にする新入社員は(そんなヤツいるのか?)、日常の業務への飲み込みも早く、ポジティブに物事を考え、社内的な付き合いも良いという。彼らは非常に優秀に働いてくれるとのことであった。
友人の話を聞いていて、違和感を覚えた。彼の言う「優秀な人材」とは、一般的に言われる「自分で考えて動く主体的な人間」ではなく、「”会社という限られたフィールドのみ”で主体的に動く人間」を指していると気付いたからだ。
優秀な人材って優秀な社畜か?
彼にそのことを尋ねると、それを企業は求めていると回答した。笑ってしまった。確かに、大部分の企業(中堅社員以上)からしてみれば、「主体性のある人材」というのは、「仕事に関して主体性のある社員」であり、「企業の在り方を考える主体性」は余り必要ないか、もしくは持っていて欲しくないだろう。もし自分が管理者であった時「週4日勤務でそのうち1日は在宅勤務で良いのではないか」と提案された時、骨のあるヤツだなと思い話は聞くだろうが、一方で若干めんどくさいなと思うだろう。
企業が求める人材の欄に書く「問題への打開」力というのはつまり、「企業周辺で起こっている問題への打開」であり、収入格差や過労死問題などの「世の中の問題への打開」ではなく、「自ら考えて行動できる」力は「業務外でも利益を出すことを考えること」ではなく、「与えられた業務よりもより高い精度・量で業務を行うこと」であることが往々にしてある。
社会人経験がそれなりにある現在では分かるが、私自身が学生だったころ「主体性」というのは、「仕事を飛び出していくこと」だと思っていてそれを就職活動でPRしていたことがある。そして落ちた。それだけではないだろうが
なぜ企業は「圧倒的成長」をPR・促すのかを考えると面白い
そもそも企業にとって社員の圧倒的成長はなんのだろうか。
新入社員の目標とすべき人間が圧倒的成長を遂げたはずの上司であり社長であるが、彼らは本当に圧倒的成長を遂げているように見えるだろうか。
圧倒的な成長を遂げた人物で構成されている会社で、残業代未払いや経営者収入が労働者収入と非常に格差があったり、使い捨てのような労働体系にするのだろうか。
圧倒的成長は圧倒的業務量と混同され、そして「圧倒的順応力」のみが身に付く結果にならないだろうか。
「成長を促す」企業には、労働者として、これらのことを検討してもよいだろう。彼も含め、とりあえず全部爆発すれば良い
「パクリ経済」とは? パクられの先陣達から、パクリについて学ぶ
パクリはイノベーション・産業を発展させる
コピー文化がもたらしたイノベーション・産業の発達と、パクリへの対処について考えたい。ざっくり言うとアメリカのコメディ業界でのコピー文化と日本での漫画家によるオマージュ的なものの構造がよく似ていて、そこにはパクリへの対処のヒントがあるのではないかということ。
コピーとパクリに関しては、特に違いのないものとここでは仮定したい。
この記事で取り上げる書籍は「パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する」というもの。下にAmazonリンク貼っておきます。
この本の主旨をまず書いておく。
パクリで発達していく産業
アメリカにおける、ファッション・料理・コメディ・スポーツの戦略・文字のフォントなど、著作権で保護されていない(合法的にコピーできる)分野を取り上げて、パクリ文化とその功罪、またコピー製品によって、産業そのものがどのような発展を遂げているのかを記している。
米国ファッション業界のコピー文化とその発展
ハイブランド製品をコピーするファストファッション業界
例えば、ファッション業界であれば、基本的にファッションデザインに関して著作権の保護対象外であり、コピーが蔓延っているとしている。例えばハイブランド製品と同様のデザインで安価に発売するとされるフォーエバー21のように。
コピー製品の氾濫は一般的に、クリエイティビティを妨げ、産業の発展を阻害する要因のようにみえる。
しかし、同書では
簡単かつ自由なコピー制度の影響は、ファッション業界にとって、長期的に見て有益だ。
(注:この記事の引用箇所は「パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する」からのもの
としている。
もちろん個人のデザイナーを見ると、コピー製品によって被害が出るとしつつも、
コピー製品は産業全体に損害を与えない。それどころか、実際にはコピー製品は産業の成功の鍵を握っているのだ。コピーが多ければ、その分だけファッション・サイクルが加速し、ファッション・サイクルが加速すればデザインも増え、売り上げも増える。
つまり、コピー製品の規制をかけないことが個人として見たときはデザイナーは被害を受けるが、産業全体としてはサイクルの加速から、より産業は発展していくとしている。同書ではこの論の具体的な数字や例を提示している。
料理やスポーツでの戦略、文字のフォントの発展もコピーが大きく関与した
他にも料理やスポーツでの戦略、文字のフォントを取り上げて、そのコピーの歴史とそれによる功罪と創造性がコピーによって発展したという「パクリ文化の産業への影響」についてまとめている。
ここまででも非常に面白い読み物である。本の紹介だけではつまらないので、発展させたい。
ここからは米国のコメディ業界のコピー文化と、日本のTwitterでの事例、そしてパクリへの対処法を考えてみたい。
パクられたら、どうするのがいいんだろう?
アメリカのコメディ業界での盗用に対する2つの制裁
同書の山田奨治氏の解題では、コメディの項目は、多くのコメディアンが個人事業主であるアメリカと違い、日本では大手プロダクションにほとんどの芸人が所属している点と、コピー(主に口頭伝承)によって支えられた落語文化がある点が違うといった点がある。
また日本と米国は著作権の捉え方では大きな異なりがあるものの、コメディの項目でも基本的には同様であるとしている。
以下に挙げるのはアメリカのコメディにおける盗用を見たもの。
パクリを叩く、超法規的なシステム
コメディは法規制が無い代わりに、ジョーク等の盗用については、独自の超法規的なシステムを発達させたとしている。コメディにおける盗用者への制裁は「評判への攻撃」と「取引拒絶」を挙げられ、コミュニティからの追放とクライアントへの呼びかけであるという。このことが多くのイノベーションに動機を与えているとしつつも、
しかし一方で、このシステムは正義の乱用(ゴシップや抗議制度の不備を含む)も生み出しているし、正規法には存在する所有権や譲渡のあらゆる形態は考慮されていないし、明確で公正な使用基準と所有権への妥当な時間的制限が欠如している。
日本における最近のパクリ事例とその対応
多くのコピーは産業全体のコピーにつながるとしつつも、作者個人の単位で見るとコピーの氾濫はマイナスにしかならないだろう。先行者利益についても検討されているが、多くの面でパクリは先行者のマイナスになることは間違いない。
そこでパクリへの対応の検討をしたい。
個人はパクリへどのように対処すべきか?
アメリカのコメディ業界は超法規的なシステム、つまり「評判への攻撃」と「取引先への呼びかけによる拒絶を促す行為」によって、盗用者へ私的な制裁がされているとされている。
これって、最近何かで見た気がする。
なんかあったような
A氏がB氏に対してコンセプトのパクリだと超法規的な制裁「評判への攻撃」と「取引先への呼びかけ」を行い、その後C氏によってA氏のコンテンツのパクリを告発したような事例があったような...思い出せない...チガウ...ネスサン
正義の乱用は危険だ。特に、何かある場合は
もしかしたら道徳の教科書かも知れない。思い出せないが、そんな事例はいくらでもあっただろう。これが良いとか、悪いとかではない。ただ、その構造が米国のコメディ業界と日本の個人で動くクリエイター同士の業界とでは非常によく似ている。A氏の騒動を知っている人ならば、正義の乱用による危険性はこの事例で学んだはずだ。
パクリに対してクリエイターはどう対処すべきか?
歴史から学ぶことは多い。また現代で進行中の事例から学ぶことは可能だ。だとするならば、「パクリ文化への対処」は、この本の中のことが正しいならば、アメリカのファション業界から多くが学べるだろう。
米国ファッション業界では、「コンセプト」だけでなく、ファッションの商品そのものである「デザイン」までコピー製品が発売されているという。
そのヒントがここにあるのではないか
対処方法は1.法律的な対応で相手に賠償させる、2.超法規的な対応で相手の評判を下げる、3.それらを行わずに逆手にとった自身の評判を上げる対応などが考えられる。
1に関してはアメリカにおける著作権でカバーされている産業が参考になる。2に関してはアメリカのコメディ業界のジョークの盗用が参考になるだろう。問題は3なのだ。誰しもが目指す場所なのに、その参考になる事例が少ないと感じていた。
3のパクリに対して自分の評判を上げる対応はなんなのだろうか、果たしてそれが出来るのだろうかと考えていたが、そのヒントが同書にあったと感じた。
昨日と、明日の違い
米国装飾業界の渦中にいる人物、ランバンのアルバー・エルバスのコピー製品に対しての言葉を引用して、この記事の最後にしたい。
彼はコピー製品を生産するものに対して気にしていないおらず、「彼らは昨日をコピーすることはできても、明日はコピーできないんだから」と語ったという。
(引用箇所は全て「パクリ経済ーーコピーはイノベーションを刺激する」から)
- 作者: カル・ラウスティアラ,クリストファー・スプリグマン,山田奨治(解説),山形浩生,森本正史
- 出版社/メーカー: みすず書房
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- メディア: 単行本
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「9円以下はいらない」私の考える半能動的な税金徴収システム
おつりで9円以下、いらない
コンビニで、9円以下の小銭渡さなくていいよ。
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余った1円と5円は会計に使うのだが、レジが高度化されたためか、私の老化かはわからないが、レジの人を待たせることになって、結果ぴったりの小銭が無かったりすると気まずくなる。小銭入れを買うのも無くしそうだし、手間がかかるしでめんどくさい。
私の周りは私を含めて金持ちではないが、聞いてみたところ同じことを思っている人が意外といてびっくりした。
なぜ、コンビニの募金箱に入れる人が多いのか
大体、コンビニの募金箱に9円以下は入れてしまう。バイトの子がタイプだった場合は100%入れている。その時にどのような場所へ寄付されるかは見ていない。今週だけでも、数カ所に入れているが一切、どこへ募金されるかを見ていない。大体、盲導犬だろと思っている。
1円玉と5円玉が多い、募金箱
コンビニの募金箱には、札も入っている時もあるが、大体は1円玉か5円玉が多い。私のように財布へ入れるのがめんどくさい人も多いのだろうなと思っている。
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コンビニのタッチパネルを利用した税収システムはどうか?
この小銭めんどくさい人に向けての募金システムを整備してもらいたいというのが、今回の趣旨である。
小銭を貰うこと自体がめんどくさいのだ。貰って、募金箱に入れるも財布に入れるものが億劫だ。1日に数カ所で9円以下、1日30円だとしても1年で約1万円となる。1年でみると結構多いが、1日だとわりとどうにでもなる金額である。
募金先はどこでもいいが、日本に住んでいる私にとって一番利益のある募金先は日本である。地方自治体などでもいい。募金先はこだわらない。
コンビニレジのタッチパネルを利用して、募金させてくれないか?
コンビニのレジにタッチパネルが出来て久しい。おなじみになっている。
宣伝の映像等が流れていて、それも良いのだが、そのパネルの下にバーをつけて、バーコードをタッチしている時間に、募金先と募金金額を決め、おつりをその分差し引いて欲しい。
「9円以下」「99円以下」「999円以下」「それ以上」
のようなボタンをパネルの下に設置して、選択した募金額分をそもそもおつりとして貰わないシステムは受け入れられないだろうか。
コンビニのシステムを導入するコストはそのうち数%をシステム費として計上すれば補填できるだろう。
このような半能動的な税金徴収システムはどうだろうか?既存の税収を多くとるよりも、意外とシステムによっては寄付のような形で税収分のわずかでも補えるのではないかと思うのだ。
そもそも数円の損も嫌だという人はクレジットカードや電子マネーを使っているだろうから、現金での支払いのみのシステムで良いのではと考えた。
まとめ:小銭が不要な人への反能動的な寄付システム
- 現金払いの人の内、数%は小銭が不要な人がいるのでは?
- コンビニの寄付箱よりも簡単に寄付できるシステムは有益では
- 能動的でなく、「いらない」という際に寄付できるシステムが欲しい
- 寄付すれば褒めてくれるシステムも欲しい