会社員のための雑学ハック

Web・末端会社員としての働き方・経済・文化等、「半径3m以内の事」を考えるブログです。ー雑学:多方面にわたるまとまりのない知識や学問。また、学問とは関係のない雑多な知識。

スマートボールの一生(パチンコ業界の規制の裏で)

先日、急にスマートボールをしたくなり、浅草へ出かけた。

スマートボールは美しい

 スマートボールとは、昭和30年代にかけて射幸性の高さのため規制されたパチンコの代わりに爆発的ブームを生んだ手打ち遊技器機で、現在はあまりみられなくなった斜陽遊技器機である。

 浅草の「三松館」へ行ってみると、休日だからかほぼ満席で幅広い年代の人々が興じていた。スマートボールは味がある。派手さはないが趣がある。あと、なんと言っても名前がいい。スマートパチンコは日本独自の文化であると言われているが、スマートボールだってそうである。儚く散った物は美しい。よってスマートボールは美しい(散ってはないが)

三松館内に手打ちのパチンコ台もあったので遊んでみた所、熱中して5時間位遊んでしまった。

 手打ちのパチンコ台について調べてみると、面白かったので、今度まとめてみようと思うが今回はスマートボールの栄華とパチンコの黎明期(少し)の話しを出来る限り簡単にまとめてみる。

パチンコ黎明期[戦後]

 戦中、禁止されていたパチンコ機の製造、営業を戦後になり復活させたのは東京の闇市とされている。そもそもパチンコの始まりは大阪、金沢で昭和5〜12年とされているが子供の遊技としての位置づけであった。第二次世界大戦後、再開したパチンコは戦前の子供の遊技的役割から大人のゲーム(賭博)へと変化した。

パチンコ黄金期を迎えたのは昭和25(1950)年で正村ゲージの出現からブームとなった。

 それまで、玉が単純に上から下へと落ちる物がほとんどだったが、正村ゲージの出現で、針の配列に工夫をこらすことによって、玉の複雑な運動を可能にし、不規則で偶然性を生み出しより人の心をとらえるものとなった。また、連発式などと言われる、短時間で多くの玉を打てる台もはやり、ブームの構築に手を貸した。

 全国遊技業共同組合連合会の資料によると店舗数は1952年に4万4千店以上(現在の約3倍以上)なお、現在のパチンコも基本的には正村ゲージを受け継ぐものである。

パチンコの危機(連発禁止令)[昭和29-30年]

 また、正村ゲージとともにブームを支えてきた連発式(機関銃式)機体であったが、第一次黄金期を迎え、射幸性やギャンブル性の高さにより、世論が反対へと傾く。

批判とは、ヤクザの介入、パチンコ代欲しさの為の犯罪、家庭不和など。(今日でもよく聞くが)

一連の報道により、規制がかかることとなった。
 昭和30年から、連発式、電動式が禁止となり、また景品の現金交換も禁止された。

これにより、第一次パチンコブームが終わり、大幅な業界不況へと陥り、パチンコ店が次々と倒産する。

スマートボールの異質な誕生[昭和7年]

 スマートボールの原型は、ビリヤードと言われている。発祥はフランスの貴族がビリヤードに興じる際、ビリヤードはある程度の台の高さが必要なので、手間を省く目的で台を傾けてキューを固定したものが原型とされている。

フランスで生まれたものは、バガデル(別名:コリントゲーム)と呼ばれる。フランスで生まれたバガデルは、アメリカに渡り更に独自の進化を遂げピンボールとなる。
 
 つまりフランス、アメリカで進化したものが日本に入ってきた際に、独自の進化を遂げたスマートボールが誕生する。

それぞれの発祥が面白い

余談だが、ここが面白かったのでまとめると、フランスで生まれたバガデル(コリントゲーム)がパチンコの発祥だと言われている(諸説あるが)コリントゲーム(仏)から進化した、パチンコ(日)、ピンボール(米)の二つの特徴を持つ遊技機器こそスマートボールなのだ。

パチンコは仏、米の2国からの影響で進化したのに対し、スマートボールは仏、米の影響を受けたパチンコの更に進化したバージョンだ。スマートすぎる。
(脱線して申し訳ないが、昭和33年に登場する雀球はこれらプラス中国の影響も受けている(!))

スマートボール最初で最後の黄金期[昭和31年]

 パチンコに規制がかかり、減少するパチンコ店の中、脚光を浴びたのが、スマートボールである。

 玉が大きく連射も出来ない為、射幸性はパチンコほど高くないため、恐らく代用器機として脚光を浴びたのであろう。パチンコ業界の不況は続き、パチンコ店が激減していく中(全国遊技業共同組合連合会の資料より、1956年(s31)では1952年(s27)の約1/5店舗数(8千店)に)スマートボールは(今後何かが起こらない限り)その一生の中で最高のときを迎えることとなった。


スマートボールのブームを受け、麻雀とパチンコを組み合わせたじゃん球も昭和33年に生まれるなど、スマートボールはこの世の春を謳歌することとなった。

しかし、スマートボールのブームは長くは続かなかった。

スマートボール衰弱[昭和35年〜]

昭和31年からブームを起こしたスマートボールであったが、わずか4年で衰退の一途をたどることとなってしまった。

昭和35年からパチンコが返り咲くこととなった。チューリップの出現である。

パチンコは以後、長らく親しまれるようになったが、栄華を誇ったスマートボールは、店頭から徐々になくなっていく。

全日本遊技事業協同組合連合会の2010年7月の発表によると、スマートボールアレンジボール、じゃん球を合わせても156台しか設置されていない(公式には)

徐々に、なくなりつつある文化であるスマートボール

浅草三松館の店主に聞いてみた所、修理できる人が少なくなってきていて、廃棄するものも増えているとのこと。残念でならない。



(2015年追記)
スマートボールに新機種が出たと聞いて、プレイしてきました。その際のレビューを書きました。この記事を読んでいただけた方に読んでもらえるとすごく嬉しいです。
zatsuhack.hateblo.jp