ゴルフ離れは最先端?デキない若者がゴルフをしない5つの理由
なぜ、仕事が絡んだゴルフをしなくなったのかを語りたい
<元ネタはこの記事から。まずはこちらをお読み頂けるとより一層楽しめます>
ゴルフ歴は数年になる。入社当初は最初のボーナスでゴルフクラブを購入し、コースにも1年で10回に満たないほどだが、プレイした。その後も数年ゴルフを続けたが、今年「もういいか...」と思い、仕事がらみのゴルフ引退を決意した。
引退のコンペでは、120のベストスコアを更新し、有終の美を飾ることが出来た。終止、走りっぱなしのプレイスタイルは根強いファンもいたが、引退式では「ふざけるな」「ブービーメイカーが次の幹事なのに引退するとは何事だ」といった罵声が飛び交う結果となった。
「ビジネスマンにとって、ゴルフは英語と並ぶ必須ツール」とされている。その必須ツールをなぜ捨てたのかを記載したい。余談だが、英語もまったくできないため、必須ツールを一つも持っていない、デキない若者だということは明記しておきたい。
休日ゴルフが自己投資ではない5つの理由
トップ営業マンは「ゴルフは自己投資」だと考えているという。私はそうは思わない。トップ営業マンではないからだ。
1.相手との信頼関係を傷つける
顧客や上司とプライベートな話が出来る機会は貴重である。ゴルフで同じ組になることが出来れば、相手との距離も縮まるだろう。と思っていた。が私は信頼関係を傷つけることとなった。
これには大きく2つの理由があると感じる
1.細かいマナーを学ぶ場が意外とない
若手社員でゴルフをやっている人口は私の周りで少ない。中堅になるとより減って(子供が小さかったり、家庭を重視するようになる)、ベテランが多数派となる。
顧客と一緒にコンペに行く際には、マナーの学習が必須であるが、この人口分布の場合、実はあまり教えてもらう機会が少ないと感じた。
ベテラン社員は「今の時代に若者がゴルフをやるだけでも偉い、故にぐちぐち言わない方が良い」と思っていることが多く、若手としてはマナーを教えて欲しいのだが「好きなようにやれ」と言われるとマナーの習得が難しくなる。中堅社員に聞くとポイントを非常に分かりやすく教えてくれることが多いのだが、時代の流れからか一緒にならないことも多い。
インターネットでもマナーを学ぶことが出来るが、実際に若手が行うべき手段については意外と書かれていないことが多い。私の感じた若手社員の鉄則を書いて見たいと思う。
私の感じた若手社員の為のゴルフマナーの鉄則
- とにかく走れ!(グリーン以外)
- 不安だからって、人の番手を聞くな!
- 常に7、サンド、ピッチング、パターを持っていろ
- ボールは5個くらい持ってろ
- 「ナイスショット」ではなく「おー!」と言っておけばよい
- スコアが悪くてもいいから「絶対に」途中でクラブだけは忘れるな
等がある。これは、今後詳しく別の記事にしてみたい。
2.人のアドバイス通りにプレー出来ない
顧客との信頼関係を傷つけて(泣く程怒られて)マナーを学べてマナーをクリアできた。だが、私はゴルフのセンスが無かった。スコアが悪いと、年上の方々はありがたいアドバイスをくれることが多々ある。これは取引先かどうかというよりも、その人の性格によるものであるだろう。
例えば「脇を閉めて」「腕を曲げない」「ボールに近づく」など無数に言われたが、意識しすぎて全く前にボールが飛んでいかない。となると、アドバイスした方は「出来ないヤツ」である烙印を押そうとする傾向がある。アドバイスが悪いとはならない。なぜならその人の方がスコアが良いからだ。
故に、人のアドバイスを実行できないとせっかく休日を潰したのに「出来ないヤツ」という烙印を押され、信頼関係を毀損する可能性がある。
一番避けるべき、信頼関係を損ねることを回避するには、練習が必要だ。つまり、時間と金の「投資」が必要なのだ。
その投資のリターンが果たして、見合うものなのかこれから考えていく。
2.忙しい人と話せるが、その後会わないし、失敗は許されない
メリットかデメリットかと言われれば、「メリット」になるこの項目だが、若手社員にとって意味があるかどうかは別である。
決定権を持つ人物と話すことが出来る意味では非常に貴重である。が、その後会う機会が無いことが多い。普段会わない人とは、その後も会わない。ただ後々のことを考えると、有益かも知れない。
しかし、その一方で「失敗は許されない」というプレッシャーが非常に大きくなる。決定権を持つ人物の前で失敗してしまうと、今後の取引に非常に大きな悪影響を及ぼす。私は一つの取引を停止させた。
3.ビジネス交流会でだけでは会えない人にも「会える」
会うだけだ。
同じ組になれなければ、その後発展することはあまりない。名刺交換のみで名刺が溜まって行くだけだ。ただし継続的にその人がくる場合であれば、有益性はあるかも知れない。
プライベートとビジネスを別にしたい人からは「ここで営業かけてくるなよ」と思われないようにしなければならない。その見極めが出来れば、有益だろう。
私はプライベートにも関わらず名刺交換を迫って行って、邪見に扱われた人を見たがそれでもメリットになり得るのだろうか。
4.仕事に役立つコミュニケーションが身に付く「休日活動」
もはや休日ではない。無給研修だ。
無償の研修と捉えなければこれが、メリットにはならない。
朝、5時に起きて家に着くのは日が落ちてから。謎の焼きそばを食べた煮え切らない空腹感で帰ってきて、もう一日が終わる。経費でなければ最低でも1万の出費がある。貰えるのではなくお金を払う、休日活動で「コミュニケーション力」を付けたい人にとってはメリットだろう。
私は、別にいい。
5.プレッシャーに負け、心が折れた状態で帰宅
仕事でのプレッシャーに弱い人にとっても、ゴルフは良い訓練の場になるようです。「ゴルフは一緒に周っている人や後続の人たちに迷惑をかけないために、1打ごとにプレッシャーに晒されながら行うことになります。ゴルフはメンタルが重要なスポーツなのです」
地獄だよね
プレーが下手な場合、プレッシャー+技術的な問題で人に迷惑をかけることとなる。
迷惑をかけまいとショートカットを狙った一打でプレッシャーに負け、迷惑をかけ続けて疲弊。帰りの車で、宴会の準備のために入れなかったお風呂のことを思いながら、パーキングで仮眠して、帰宅。乗り合いで帰る場合は、先輩との中、睡眠との戦いという地獄が待っている。
これでメンタルが鍛えられるというのは戸塚ヨットスクール的思想だと思う
ゴルフは遊びとして面白いが、金持ちの道楽
まともにプレーが出来るまでには、金と時間がかかりすぎるスポーツである。ただ、プライベートの遊びとしては面白いのだ。
仕事が絡んだゴルフをオススメしない理由としては、「周りの若手もゴルフ離れによって、気軽に教えを乞える人が少ない」「バブルではない景気の中、投資(時間と金)に見合ったリターンがあるのか」「休みの日くらい、休ませてくれ」である。
周りの人もみんなやっていて、給料も高く、日常のストレスがほとんど無い人であれば、仕事でのゴルフは有益かも知れない。また大口顧客とのクローズなコンペは有益であることが多いが、関係性強化の意味では若手社員にとって金と時間がかかるゴルフで無くても良いのではないか?と思う。好きな人が多いのが、ゴルフの厄介なところだ。
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企業は、なぜ「圧倒的成長」をPRするのか?
圧倒的成長という罠
なにが、人のモチベーションを上げるのか。を考え導かれた「罠」、それが圧倒的成長なのかも知れない。
<エサを待つ犬の画像>
新入社員には「成長をエサ」にしろ
友人から、面白い話を聞いた。企業向けのコンサルタントに勤めている友人は、事業だけでなく、人事部へのコンサルも行っているという。
その中で「優秀な」新入社員を集めるPR方法の手段を聞いた。各コンサル企業によって、推奨するイメージアップ戦略は異なるものの、彼の勤めているコンサルでは「圧倒的な成長」というのがキーワードになっているという。
「圧倒的な成長」これは新入社員だけでなく、若手社員研修や管理者研修における新人教育のコツでもあるようだ。
なにが若手のモチベーションを上げるのか?
仕事に対する報酬は人によって違うだろう。私は報酬と労働時間とストレスのバランス>得られるスキルだが、会社への要望は時代によってトレンドがあるという。
一昔前であれば、社会的地位や会社内の順位などを求めて労働を行うことがトレンドであったらしいが(彼はそのような指導はしたことが無いという)、現在は「安定」よりも「成長」がキーワードになっているという。
なぜ若者は「成長」を望むのだろう。オープンワールドRPG論
なぜ「成長」がキーワードになっているのか考えてみたが、時代的な背景もあり、現代の若手は先行きが見えないなか模索していて、安定した生活は望んでいるものの、リストラという言葉が一過性のものではなく身近にあるこの時代に、「どうしていいかわからないが社会的スキルを身につけたい」と思っているのかも知れないと感じた。というより、自分がそのように思っていた。
オープンワールドの出来の悪いRPGのようなものだなと思う。ボスはいるのか、いないのかすら分からず、いつ自分の村が襲撃されるかも不明な状況で、とりあえずレベルアップだけはしておかないと有事に対応できないから、修行に励もうと思っているようなものだと感じる。
そこに「絶対にレベルアップする修行場」があれば、とりあえずそこに通ってみるのは選択肢として間違っていないように感じるのだ。
ただ、その後の友人の話を聞いて、「圧倒的成長」を謳う企業の一部は気を付けた方がよいかも知れないと感じた。
優秀な人材=「低賃金でモチベーションが高く、長い労働時間でも耐える」人材か?
成長を目的として入社する新入社員は、非常に優秀であると回答されるケースが高いという。コンサル先へ、1~2年後にフィードバックを求めると成長を目的として入社し、「圧倒的成長」を普段から口にする新入社員は(そんなヤツいるのか?)、日常の業務への飲み込みも早く、ポジティブに物事を考え、社内的な付き合いも良いという。彼らは非常に優秀に働いてくれるとのことであった。
友人の話を聞いていて、違和感を覚えた。彼の言う「優秀な人材」とは、一般的に言われる「自分で考えて動く主体的な人間」ではなく、「”会社という限られたフィールドのみ”で主体的に動く人間」を指していると気付いたからだ。
優秀な人材って優秀な社畜か?
彼にそのことを尋ねると、それを企業は求めていると回答した。笑ってしまった。確かに、大部分の企業(中堅社員以上)からしてみれば、「主体性のある人材」というのは、「仕事に関して主体性のある社員」であり、「企業の在り方を考える主体性」は余り必要ないか、もしくは持っていて欲しくないだろう。もし自分が管理者であった時「週4日勤務でそのうち1日は在宅勤務で良いのではないか」と提案された時、骨のあるヤツだなと思い話は聞くだろうが、一方で若干めんどくさいなと思うだろう。
企業が求める人材の欄に書く「問題への打開」力というのはつまり、「企業周辺で起こっている問題への打開」であり、収入格差や過労死問題などの「世の中の問題への打開」ではなく、「自ら考えて行動できる」力は「業務外でも利益を出すことを考えること」ではなく、「与えられた業務よりもより高い精度・量で業務を行うこと」であることが往々にしてある。
社会人経験がそれなりにある現在では分かるが、私自身が学生だったころ「主体性」というのは、「仕事を飛び出していくこと」だと思っていてそれを就職活動でPRしていたことがある。そして落ちた。それだけではないだろうが
なぜ企業は「圧倒的成長」をPR・促すのかを考えると面白い
そもそも企業にとって社員の圧倒的成長はなんのだろうか。
新入社員の目標とすべき人間が圧倒的成長を遂げたはずの上司であり社長であるが、彼らは本当に圧倒的成長を遂げているように見えるだろうか。
圧倒的な成長を遂げた人物で構成されている会社で、残業代未払いや経営者収入が労働者収入と非常に格差があったり、使い捨てのような労働体系にするのだろうか。
圧倒的成長は圧倒的業務量と混同され、そして「圧倒的順応力」のみが身に付く結果にならないだろうか。
「成長を促す」企業には、労働者として、これらのことを検討してもよいだろう。彼も含め、とりあえず全部爆発すれば良い
「パクリ経済」とは? パクられの先陣達から、パクリについて学ぶ
パクリはイノベーション・産業を発展させる
コピー文化がもたらしたイノベーション・産業の発達と、パクリへの対処について考えたい。ざっくり言うとアメリカのコメディ業界でのコピー文化と日本での漫画家によるオマージュ的なものの構造がよく似ていて、そこにはパクリへの対処のヒントがあるのではないかということ。
コピーとパクリに関しては、特に違いのないものとここでは仮定したい。
この記事で取り上げる書籍は「パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する」というもの。下にAmazonリンク貼っておきます。
この本の主旨をまず書いておく。
パクリで発達していく産業
アメリカにおける、ファッション・料理・コメディ・スポーツの戦略・文字のフォントなど、著作権で保護されていない(合法的にコピーできる)分野を取り上げて、パクリ文化とその功罪、またコピー製品によって、産業そのものがどのような発展を遂げているのかを記している。
米国ファッション業界のコピー文化とその発展
ハイブランド製品をコピーするファストファッション業界
例えば、ファッション業界であれば、基本的にファッションデザインに関して著作権の保護対象外であり、コピーが蔓延っているとしている。例えばハイブランド製品と同様のデザインで安価に発売するとされるフォーエバー21のように。
コピー製品の氾濫は一般的に、クリエイティビティを妨げ、産業の発展を阻害する要因のようにみえる。
しかし、同書では
簡単かつ自由なコピー制度の影響は、ファッション業界にとって、長期的に見て有益だ。
(注:この記事の引用箇所は「パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する」からのもの
としている。
もちろん個人のデザイナーを見ると、コピー製品によって被害が出るとしつつも、
コピー製品は産業全体に損害を与えない。それどころか、実際にはコピー製品は産業の成功の鍵を握っているのだ。コピーが多ければ、その分だけファッション・サイクルが加速し、ファッション・サイクルが加速すればデザインも増え、売り上げも増える。
つまり、コピー製品の規制をかけないことが個人として見たときはデザイナーは被害を受けるが、産業全体としてはサイクルの加速から、より産業は発展していくとしている。同書ではこの論の具体的な数字や例を提示している。
料理やスポーツでの戦略、文字のフォントの発展もコピーが大きく関与した
他にも料理やスポーツでの戦略、文字のフォントを取り上げて、そのコピーの歴史とそれによる功罪と創造性がコピーによって発展したという「パクリ文化の産業への影響」についてまとめている。
ここまででも非常に面白い読み物である。本の紹介だけではつまらないので、発展させたい。
ここからは米国のコメディ業界のコピー文化と、日本のTwitterでの事例、そしてパクリへの対処法を考えてみたい。
パクられたら、どうするのがいいんだろう?
アメリカのコメディ業界での盗用に対する2つの制裁
同書の山田奨治氏の解題では、コメディの項目は、多くのコメディアンが個人事業主であるアメリカと違い、日本では大手プロダクションにほとんどの芸人が所属している点と、コピー(主に口頭伝承)によって支えられた落語文化がある点が違うといった点がある。
また日本と米国は著作権の捉え方では大きな異なりがあるものの、コメディの項目でも基本的には同様であるとしている。
以下に挙げるのはアメリカのコメディにおける盗用を見たもの。
パクリを叩く、超法規的なシステム
コメディは法規制が無い代わりに、ジョーク等の盗用については、独自の超法規的なシステムを発達させたとしている。コメディにおける盗用者への制裁は「評判への攻撃」と「取引拒絶」を挙げられ、コミュニティからの追放とクライアントへの呼びかけであるという。このことが多くのイノベーションに動機を与えているとしつつも、
しかし一方で、このシステムは正義の乱用(ゴシップや抗議制度の不備を含む)も生み出しているし、正規法には存在する所有権や譲渡のあらゆる形態は考慮されていないし、明確で公正な使用基準と所有権への妥当な時間的制限が欠如している。
日本における最近のパクリ事例とその対応
多くのコピーは産業全体のコピーにつながるとしつつも、作者個人の単位で見るとコピーの氾濫はマイナスにしかならないだろう。先行者利益についても検討されているが、多くの面でパクリは先行者のマイナスになることは間違いない。
そこでパクリへの対応の検討をしたい。
個人はパクリへどのように対処すべきか?
アメリカのコメディ業界は超法規的なシステム、つまり「評判への攻撃」と「取引先への呼びかけによる拒絶を促す行為」によって、盗用者へ私的な制裁がされているとされている。
これって、最近何かで見た気がする。
なんかあったような
A氏がB氏に対してコンセプトのパクリだと超法規的な制裁「評判への攻撃」と「取引先への呼びかけ」を行い、その後C氏によってA氏のコンテンツのパクリを告発したような事例があったような...思い出せない...チガウ...ネスサン
正義の乱用は危険だ。特に、何かある場合は
もしかしたら道徳の教科書かも知れない。思い出せないが、そんな事例はいくらでもあっただろう。これが良いとか、悪いとかではない。ただ、その構造が米国のコメディ業界と日本の個人で動くクリエイター同士の業界とでは非常によく似ている。A氏の騒動を知っている人ならば、正義の乱用による危険性はこの事例で学んだはずだ。
パクリに対してクリエイターはどう対処すべきか?
歴史から学ぶことは多い。また現代で進行中の事例から学ぶことは可能だ。だとするならば、「パクリ文化への対処」は、この本の中のことが正しいならば、アメリカのファション業界から多くが学べるだろう。
米国ファッション業界では、「コンセプト」だけでなく、ファッションの商品そのものである「デザイン」までコピー製品が発売されているという。
そのヒントがここにあるのではないか
対処方法は1.法律的な対応で相手に賠償させる、2.超法規的な対応で相手の評判を下げる、3.それらを行わずに逆手にとった自身の評判を上げる対応などが考えられる。
1に関してはアメリカにおける著作権でカバーされている産業が参考になる。2に関してはアメリカのコメディ業界のジョークの盗用が参考になるだろう。問題は3なのだ。誰しもが目指す場所なのに、その参考になる事例が少ないと感じていた。
3のパクリに対して自分の評判を上げる対応はなんなのだろうか、果たしてそれが出来るのだろうかと考えていたが、そのヒントが同書にあったと感じた。
昨日と、明日の違い
米国装飾業界の渦中にいる人物、ランバンのアルバー・エルバスのコピー製品に対しての言葉を引用して、この記事の最後にしたい。
彼はコピー製品を生産するものに対して気にしていないおらず、「彼らは昨日をコピーすることはできても、明日はコピーできないんだから」と語ったという。
(引用箇所は全て「パクリ経済ーーコピーはイノベーションを刺激する」から)
- 作者: カル・ラウスティアラ,クリストファー・スプリグマン,山田奨治(解説),山形浩生,森本正史
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2015/11/26
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