75カ国を旅した経済学者が「最高」と評した東京のレストランとは?
アメリカの経済学者から見た「日本の外食産業と最高のレストラン」
2015年12月25日に日本訳が発売された「エコノミストの昼ごはんーコーエン教授のグルメ経済学」が非常に面白かった。
そもそもコーエン教授とは、アメリカの経済学者でエコノミスト誌が実施したアンケートによると「最も影響力のある経済学者」の一人であり、フォーリン・ポリシー誌が選ぶ「世界の思想家トップ100」にも選ばれた著名人だと言う。
経済学的な外食学本としても、実用書としても活用できる本
美味しいレストランの探し方から、海外の外食事情、外食の発展とそれによる障害など、様々な観点からグルメを考察している。
その中でも、「日本の外食」についての記載が非常に面白かったので、引用・考察してみたい。引用部分はすべて同書からのものである。
日本の外食事情は「専門性、水準が高い」
基本的にはこのコーエン教授、日本びいきである。日本の外食は何を食べても基本的にはハズレはないとしており、唯一同書の中で苦言を呈しているのは、トマトソースの代わりにケチャップがかかった麺(おそらくナポリタンのことだろう)だけである。ナポリタン超ウマいけどな。
教授は他の人と食べ物の話題になると「どこか一箇所しか選べないのだとしたら、日本を選ぶべきだ」と言うという。他にはインド、シンガポール、イタリアも気に入っている。という程の「日本の外食に惹かれている」教授である。
一方、 祖国であるアメリカの食べ物のクオリティが低いことを日本語版の序文で謝罪しているのも面白い。
東京のレストランの特徴「専門性、模倣性、クオリティが高い」
外食産業を含めた日本経済の供給面では、専門化を重視する見方が根強い。日本料理に関して、東京のレストランはほとんどハズレがない。なぜなら、日本の客は好みがうるさく、要求水準が高い。
コーエン教授がオススメする日本のレストランとは?
日本で豪勢に食べるなら「フランス・イタリア・中華料理」
東京で豪勢な食事をするなら、日本料理は避けた方がよい。おすすめはフランス料理、イタリア料理、中華料理。
東京で日本料理を食べるのを薦めない理由
「最高」と評した日本のレストラン「ピエール・ガニェール」
75カ国以上旅したコーエン教授が「最高」であると評したレストランが東京にある。 これまでの人生で食事をした中で最高のレストランとも書いたのが「ピエール・ガニョエール」だ。
日本のレストランで最高とするのは、寿司屋などの日本食店だと思ったが、意外にもフランス料理店であった。
味、独創性、サービスのクオリティがヨーロッパで食べたあらゆる高級料理を超えていた
この店舗であろうと思う。食べログでも高評価のレビューが多い。
こういったブログの後半では、実際にこの店に行ってみて「これはおいしい!」と締めくくるのが正しい終わり方であることは重々承知している。
しかし、貯金が無い私にはそのような贅沢は出来ない。ステマどころか、店の存在すら知らない。絶賛しているが、フランス料理自体ほとんど食べたことないし、責任は持てないが、
今日、世界で一番美味しいフランス料理が食べられるのは、ひょっとしたら日本なのかもしれない。
村上春樹をどう評価するかで、その人がバカか分かるのでは
村上春樹の批評を見る時に感じていることをまとめる
書きたいのは大きく分けて3つ。
「村上春樹論は危険じゃないか?」
「ファンをひとくくりにできるのか?」
「こんな人はバカに見えるよ」
この記事の要約「小説家・村上春樹論」について感じていること
- 「好き」でも「嫌い」でもどちらでも良い
- 問題は「どの部分を見て」そのように言っているかである
- ここで「バカ」とは、「分かろうとしないのに一括りにすること」を言う
- ファン(ハルキスト)をカテゴライズするのは、ここまで読者層の多い村上春樹で出来るのか?
- カテゴライズする人に対しては、周りの環境に小説を読む人が居なかったんだろうなと感じる
- また、そのような人々を排除した生活をしていると言っているようなものではないか
- あまりにメジャーだから、村上春樹を批判して自分を持ち上げたい気持ちも分かる
- ただ、小説家、特に村上春樹に関しての批判は注意が必要ではないか
文学「村上春樹」を語るのではなく、「村上春樹批評」について語りたい。
ここでは、村上作品の文学的な批評は行わない。エディプス・コンプレックスがとか、タマゴと壁がとか、父の不在がとかは語らない。というか、語れない。
村上春樹は日本発の世界的な作家である。その村上春樹について、日本人である私たちが語ることは往々にしてある。その批評の仕方について、前々から思っていることを書いてみる。
危険な村上春樹論
村上春樹は世界的な作家である。
有名だ。だから良いという訳ではない。しかし、村上春樹を語る際には、なぜ人気が出ているのかを考える必要があるだろう。
世界的に人気があることは、言うまでもない。(参考:村上春樹は現代のビートルズ!?海外での評価がスゴい - NAVER まとめ)
なぜ世界的に村上春樹は人気があるのだろうか
SUNTORY SATURDAY WAITING BAR AVANTI PODCAST 「vol.190」で東浩紀が「村上春樹がなぜ世界的に人気があるのか」を話していた。9分くらいなので、興味のある方は東か・・・と言う前に聞いてみていただきたい。数年前だが、その本質はほとんど変わっていないだろう。
- 交換可能性・匿名性が世界的に受ける要因になっているのではないか
- 村上春樹作品は非常に漫画的である(世界の終わり〜はセカイ系の起源である)
- 消費社会が一定の成長を遂げた国では村上春樹が流行るという現象が起こっている
- 世界中で同じように読まれている
- 日本が生み出した初めての世界文学である
点を指摘している。取り出しただけであるので、詳細は音源を聞いていただきたい。
この是非は置いておいて、この点は村上春樹を語る上で非常に重要であるのではないかと考えている。この考え方に立つならば、なぜ世界、日本でも多くのファンがいてどのように読まれているかを理解しやすいだろう。
なぜ彼の小説を好きかについては、人によって異なるため、一概には言うことはもちろん出来ないのだが、この点は重要な観点だ。
だれでも好きだろう。村上春樹は
村上春樹を語る時には注意が必要である作家であろう。まず、読者が世界的に非常に多い。日本でも、1Q84の売り上げはものすごかった。
(参考:村上春樹『1Q84』がシリーズ総売上300万部突破 | ORICON STYLE)
今は文庫も出ているのでシリーズとしては、上乗せが大きくされているだろう。
ここからは福田和也「悪の読書術」の影響を受けている意見であるが、村上春樹は普段から本を読む人ならばおよそ読んだことのある作家であろうし、売り上げを見ても途中でやめる人よりも「広く受けている」といえるだろう。作品もポップというか、読みやすい。つまり、他の作家に比べてだれでも好きじゃないかと思う。
もちろん村上春樹が嫌いだという人も多くいるし、全く否定をしようとは思っていない。ただ、その語り方が非常に気になる。
知性が低く見えてしまう批評の仕方が、ここまでメジャーな作家であればしょうがないのかもしれないが、多く見える。
ただ一方で、両手放しに「一番好きな作家は村上春樹」というのも、その文脈によってはモヤモヤする。1個人の意見として、「村上春樹を語る」時に感じる違和感を書いてみたい。
そもそも「ハルキニストはこんな人」とは定義できない
村上春樹ファンを一括りにしている人は多い。
この話を聞くたびに、マジか!?と思ってしまう。こんなに読まれているのに、一括りに出来るのか?だいたいタモリを好きな人くらいは村上春樹の新刊を読む人がいるのに...
一度、1Q84が出たときにどのような人が読んでいるのだろうと気になって、書店にいたことがある。緑さんのような人かなと思ったが、年代も性別もバラバラだった。当たり前だが、ショックだった。
これだけ部数を伸ばしている村上作品だから、やっぱり村上春樹ファンってくくれないんじゃないか?
村上春樹の間合いに不用意に入ると怪我をする
世界的に人気のある村上作品だが、そのファンは各国様々であろう。
ここで、注意したいのが「村上ファン」とくくることだ。明言していないだけで、村上ファンは非常に多いのではないか。潜在的村上ファンも含めると「村上ファン」のイメージ像は出来上がるようで、作るのは難しい。
村上春樹男子とか、ハルキニストとか、マジで言ってるの?
ニッチな趣味であれば、カテゴライズすることは可能であろう。ただ、交換可能性や匿名性を特徴とする村上作品では、カテゴライズはより一層難しい。しいて言うなら都市に多いくらいじゃないか?
例えば、周りの友人1名が鉄道が好きだからって、鉄道オタクとはこんな人!とするのは、例えを広げすぎだろう。もっとN数を増やす必要がある。
小説の場合は、人が何を読んでいるかが分かりにくい。本棚にあるからって村上ファンではないだろうし、図書館で毎回借りるファンも多いだろう。
ある友人が村上春樹を好きだからといって、ハルキニストはこんな人ということはできないのではないかと思う。または、自分の周りで村上春樹が好きな人はこのような人しかいません(幅広い人間関係を構築してません)。と言っているのと同じことではないか。
毎回、ハルキニストとか、春樹男子とか、くくるのを見ると、赤いポルシェに乗っている人は必ず一人旅と言っているくらいのバカバカしさ、横暴さを感じるのである。
若手社員・初心者のための「本当に役立つ」ゴルフマナー8つ
後から学んで後悔したゴルフマナーを伝えたい
1.とにかく走れ!(グリーン以外)
プレーが下手だという自覚があるならば、これだけは覚えておかなければならない。グリーン以外の場所では、「基本ダッシュ」のスキルを取得しておきたい。
120以上を叩くものはカートに乗ってはいけない。周りの人に気を使わせないように「ダイエット中です」と言っておこう。
とにかくスロープレイヤーは嫌われる。基本ダッシュは最低限のスキルだ。
2.素振りしても、無駄だよ
スコアが悪い人にとって、失敗をおこさないようにしようと慎重になる気持ちは分かる。立ち位置などを綿密に調整して、何度も素振りをして、ショットをしたい。だが、初心者は素振りをしなくてよい。僕たちが素振りをしても、対して変わらないのだ。
これはスコアを上げるためでなく、マナーとしての話だ。ベテランよりも既に何度も打っているのだから、素振りは1回までだ。無駄に時間をかけてはいけないのだ。
3.不安だからって、人のクラブの番手を聞くな!
ショートホールなどでは、他の人のクラブの番手が気になる。ただし、聞いてはいけない。なにやらこれはマナー違反らしい。というか、ルール違反なのだという。2ペナという話もある。
どうせ何で打ってもまっすぐ行かないんだから、覚えておきたい。
4.常に7番・サンド・ピッチング・パターを持つ
こだわりがあるなら別だが、経験上クラブはこれだけでいい。もう、あきらめて迅速なプレーを図ろう。
これだけ取りやすいところに入れておいて、彼らとランニング・ダッシュを楽しもう。
5.即ボールをあきらめる心。5つのボールと共に
明らかにOBに入ったらボールを探すのはあきらめる決断も必要だ。120以上叩く私たちにとって、1回のOBではスコアに大差ない。
それよりもすばやいプレーを行う方が、周りの人の評価スコアが上がる。そちらのベストスコアを求めるべきだ。
ボールは3つあれば大抵大丈夫だろうが、ポケットかボールケースに5個くらい持っておけば安心だ。邪魔になっても、スコアに影響があるほど繊細なプレーは出来ない。意外とベテランがボールが無いという事態に遭遇することがある。ドンキホーテで買ったロストボールを渡そう。
6.「ナイスショット」ではなく「おー!」でいい
接待ゴルフのテンプレ「ナイスショット」だが、これは私たちにはまだ早い。風や回転などから軌道を読むのは初心者には難しい。「ナイスショット」と大きな声を出したあと、OBだったりすると如実に変な雰囲気になる。
だったら最初から「ナイスショット」をあきらめて「おー!」と言っておこう。その後、キャディさんや同じ組の人が「ナイス〜」と言ってから追随しよう。
見切りをつけて飛ぶよりも、他の人に追随するほうが、キズは浅い。
またボールの行方といった結果をおだてるよりも、過程の賛辞を行うほうが効果的な場合もある。
- 「当たった時の音がスゴい」
- 「スイングが雑誌のようだ」
- 「そのズボン、ビームスですか?」
等の賛辞は覚えておいて損はないだろう
7.「絶対に」途中でクラブだけは忘れるな
一番最悪なのが気を使った結果、バタバタしすぎてクラブを忘れることだ。私は社内コンペで3回クラブを忘れたが、その結果なぜか普段の仕事ぶりでも説教を受けながらプレーすることになった。
これは進行方向にクラブを置いておくことで、クラブ忘れを防ぐことが出来る。例えばグリーン上ではパター以外の持っていたクラブをカート方向に置いておくような工夫はしておくとよい。
8.「スコア」よりも「邪魔にならない」プレーを心がける
スコアはもう、置いておこう。
120以上叩く私たちは残念ながらなんと言おうと練習不足だ。当日になってどうすることもできない。
では、何をすべきかというと「邪魔にならない」プレーを心がけて、「周りの人の評価スコア」を上げることに尽力すべきじゃないか。
一緒にまわっても邪魔にならないプレーは重要だ。大抵、参加しただけで喜ばれるし、初心者には教えたいのだ。ならば相手を気持ちよくさせよう。
昼はカツカレー大盛りにノンアルコールビールで若者らしさアピールだ。これで社内のベストスコアを出せる。
以上、私が後から学んで後悔したゴルフマナーだ。誰かの役に立てば嬉しい。
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