岡田斗司夫を嫌いになれない。愛人騒動はもういい。
私はFREEexの会員でもなければ、岡田斗司夫の友人でもない。会った事も話した事もコンタクトを取った事も無い。利害関係は全く無い。ただの一読者である。更に言うならば、そんなに好きでもない。
また、それらを叩いている人達とも面識は無い。私はただの小市民である。
そもそも会った事のある有名人はモリマンの種馬マンしかいない(札幌に旅行に行った時に空港にいた)。
そんな表舞台にいない、一般市民からみて思うのだが
岡田斗司夫、叩かれすぎじゃない?
先に、この記事を書いた理由を記載したい。それは私が好きな面白い人達による、「岡田叩きで時間を割いてほしくない」「思想を叩くのには反対」という点である。
正確に書くと「変な方向の」岡田叩きはもうお腹いっぱいで胃もたれがしているということ。
吉田豪の連載で、岡田斗司夫が取り上げられた。まだ岡田トシオかよ!
私が見れている範囲では、恋人騒動以前の岡田としお叩きはそれほど表に出て来ていなかったように感じる(伊集院光のラジオや、アニメ関係者等からの記事を読んだことはあったが)。
もう、愛人騒動発端の岡田叩きよくないですか?
愛人騒動は何がいけなかったのか?
私が思うのだが、この騒動に関して岡田トシオ(さっきから変換めんどくさいんでこれからカタカナにします。すみません)は、主体者であるが、被害者であると思う。
裁判が起こっている訳でも無いようなので、犯罪者はいない為、一般的に悪いとは言えないが、今回どう考えても悪いのは「愛人リストを流したヤツ」だろうと私は思う。
吉田豪のように有能な人がなぜそこを詮索せずに、岡田トシオを叩くのかがあまりわからないのである。
むしろリストにしていたことでレコーディングダイエットもちゃんとやってたんだね。と思った。
流出させたヤツには完全に悪意がある。岡田トシオ単体をつぶそうとする悪意自体は別にいいのだが、リストの名前をそのまま載せた点が最もおかしい。関係のない著名人が被害を被った形となってしまった。
なぜ愛人問題で岡田トシオを叩くのに反対なのか
愛人が沢山いましたとか、その内容が過激でしたとか、それ自体って叩かれるべきことではないですよね?
被害にあった人物が訴える(ネット上では無くて社会的に)とかなら話は変わってくるのかもしれないが、恋愛の仕方や人間関係の結び方で周りの人が叩くのは、おせっかいを通り越してある種の暴力だ。
ましてや、1対1ではなくメディアやネット上に岡田トシオへのメッセージとしてではなく、彼らのフォロワーに対してその意見表明をしているのはどういうことだろう。果たして岡田トシオが自らの行為で直接傷つけることをしたのだろうか。リストを限定的に公開していただけではないかと思う。つまり、公にはしていなかった。
カルト集団化している組織を作っている説や、覚せい剤説、暴力説等あるが、それらが本当ならば、もちろん良い事ではない。そのような事が事実であれば、それは叩かれるべきことであろう。
しかし、叩くならその点を中心として叩くべきではないのだろうか。吉田豪による上の記事では、愛人騒動以後の行動、思想を批判しているようにみえるのである。
憲法にあるからではないが、「他人に害を与えない」思想の批判には反対である。
この記事で批判されている点は「俺スゴい」「俺の説を聞け」という点であろう。うーん。なんかそのような人だとは元々みんな分かっていて、イライラしつつも、そこから展開される論点のみを聞いているのが岡田トシオの楽しみ方だって吉田豪ならば分かっているような気がするのだが、わざわざ前提の部分を批判しているのは、時間が「もったいない」と思う。
「むかつく」から公で批判して良い訳ではないのでは?
もはや、岡田トシオがあんまり関係なくなってしまって申し訳ないのだが、吉田豪の記事だけではなく、犬のように人を見ているからむかつく、仮想敵を作り上げてその理想像と対比して徹底的に仮想的を批判することで持論を展開するからむかつく、女の人格を自分の欲望のはけ口にしているから嫌い、顔がむかつく、喋り方が生理的に無理、俺万能という考え方が受け付けない、取り巻きが常にいて慕われてますみたいな感じがイライラするという点において批判するのは基本的に人格を否定しているだけであり、掲示板の書き込みの範囲を超えないのではないかと思うのだ。
私は考え方に対しては批判ではなく、批評するべきなのではないかと思う。
これが今後進んでいくとなるとより生きづらくてしょうがない社会になるのでやめてほしい。
「むかつく」ではなく、その説が間違いである点や事実をねじ曲げて伝えている(会社の倒産率だけで語っているが、経年的に人口比で見た際の従業員の雇用率や有効求人率を全く考慮に入れていないのは詐欺的な誘導ではないかといったことなど)点を批判するのは賛成だ。むしろ岡田トシオにとっては、評価経済社会の中ではプラスに働くんだろう。
問題騒動の際の著名人の反応に違和感を感じた
この騒動が出た際に、一斉に何人かの著名人は彼への攻撃を始めた。
私として一番の問題なのは、これらの人の中に私が本を買っていたり、露出をよく見ている人(つまり好きな人)が多くいることである。彼らには、この問題で時間を割いてほしくない。
そもそも岡田トシオ叩きは、そんなに面白くないとおもうんだが、これは面白いのだろうか。流出犯探しや、本当に被害者は被害を受けているのかという方向性への展開がほとんどないのだ。
もともと彼は嫌われていたのかも知れない。携わってないものを自分が作ったと言い、人の論調をそのまま持論にしたりしていたのかも知れないが、愛人騒動とそれらは関係がない。
それならば、その時に叩くべきで、この騒動時に言うのはフェアではないような気がする。その発表は「この人は叩いてもいい人なんだよ」という主張に他ならないように感じるのだ。
著名人は彼をそっとしておいてあげることはできないんだろうか。また彼の精神疾病が気になってしまい、うまくどちらにも同調出来ない点もこの話題がもういいと感じる点である。
要約
- 岡田斗司夫叩きは最初から変な方向に行っているように感じるので、反対です。
- また誰のものであろうと思想を否定するのは反対です。
- 吉田豪さんはお金にならないのは重々承知していますが、こんなことに時間を割いてないでPodcastを早く再開してください。お願いします。楽しみにしているんです。
(追記)
「吉田豪さん、ファンです! だからPodcastを再開して下さい!」とかたまに言われるんですけど、「同じパートナーと『豪さんのポッド』の発展形というべきニコ生をやってるんだけど、それを知らない、もしくはタダじゃなければ嫌だって程度の『好き』なんだろうなー」と毎回思います。
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2015年6月4日
これで大丈夫ですかね...怖い...
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